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「もう我慢の限界だ」指揮官からの手紙に発奮も...阪神の救世主となった野田浩司にまさかのトレード通告 (3ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

 自身初の月間MVPを獲得したあと、8月は完投で2勝を挙げ、負けが2つ。9月は1日の中日戦に完投で8勝目を挙げたが、以降、勝てなくなった。8日の広島戦は6回8失点、13日のヤクルト戦は3回4失点、25日のヤクルト戦も3回4失点と、先発の役割も果たせていない。10月1日の中日戦は6回1失点と試合をつくったが、打線の援護がなく、最後は五番手の猪俣隆が打たれてサヨナラ負けを喫した。

「一番悔いが残るのは10月9日のナゴヤ球場です。その前の神宮2連戦で1勝すれば、優勝へタイガースはかなり有利でした。ところが1戦目はマイク(仲田)さんが打たれて負けて、2戦目。僕は次の日の先発だったので、先に名古屋に移動していました。新幹線のなかでポケットラジオをつけて聴いていました。そしたら負けて......。なにがなんでも中日に勝たなきゃいけなかったんです」

 8日の試合が雨天中止となり、9日に順延。中日にとってはシーズン最終戦だけに、高木守道監督は特別な投手起用を事前に明かしていた。中継ぎの鹿島忠を「きれいなマウンドで投げさせてやりたい」と先発させ、あとは山本昌広(=山本昌)、山田喜久夫、今中慎二、与田剛。主力投手による継投を伝え聞いた中村監督は「やりづらいな。もっと普通に戦うほうがいいんだが」と言った。

「いいピッチャーが5人きて、ビターッと抑えられて。打線全体にガチガチだったと思います。僕はプレッシャーを感じることなく、調子もよかったんですが、前原(博之)って同級生のヤツにホームランを打たれた。大石さんに『有効だから』と言われて覚えた"抜いた真っすぐ"でした。結局、これが重すぎる1点になって......0対1で負けちゃったんですよね」

まさかのトレード通告

 優勝はできなかったが、85年の日本一以来の"虎フィーバー"になり、選手たちは忙しいオフを過ごした。秋季キャンプを経て、体のオーバホールを済ませた野田も、イベントに参加するなど多忙だった。ようやく時間ができた12月半ば、妻と旅行に出かけて帰宅すると、まだ携帯電話がなかった当時、留守番電話には球団フロントからのメッセージが何件も入っていた。

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