川崎憲次郎が今も忘れない落合監督の「オレの仕事は選手のクビを切ること」発言と引退試合で流してくれた涙 (2ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi
  • photo by Sankei Visual

 昔と比べると三振の数は減りましたが、内野ゴロは劇的に増えました。その頃には、投手としての楽しみは「三振」から「内野ゴロ」にシフトチェンジしていました。結果、四球も減り、防御率も向上して、最多勝につながったわけです。

 あと野村監督と言えばミーティングが有名ですが、春のキャンプの時は夜7時から1時間半、みっちりやりました。ミーティングというよりも"講演会"みたいな感じで、最初の2日間くらいは「人として」というテーマでした。要するに、野球を通しての人材育成なんです。

 よく言っていたのが、「野村克也−野球=0だが、オレみたいになるな。時間を守れ、あいさつを忘れるな。プロ野球人生を終えてからのほうが長いんだ」という言葉でした。

 プロ野球選手である前に、ひとりの社会人であることを忘れるなということでした。プロ野球という特殊な世界に身を寄せていると、当たり前のことが当たり前ではなくなることがある。それで勘違いする人もいると思うのですが、野村さんはそういう人間にはなるなと、口酸っぱく言っていました。

落合監督就任1年目の2004年、開幕投手に指名された川崎憲次郎氏(写真左)落合監督就任1年目の2004年、開幕投手に指名された川崎憲次郎氏(写真左)この記事に関連する写真を見る

開幕投手に指名された理由

 落合さんはキャンプでのミーティングはなく、その代わりに練習に時間を費やしていた感じです。ただ、2004年のキャンプイン前日のミーティング、ナインを前に中日の監督として最初に語った言葉は今も忘れません。

「オレの仕事は選手のクビを切ることだ!」

 就任1年目、トレード補強もせず、前年と同じ戦力を鍛えて選手層の底上げをしようとしました。そんな落合監督からこうした言葉が飛び出し、我々選手たちは身が引き締まる思いでした。

 これは落合監督と私がお互いユニフォームを脱いでから聞いた話なのですが、2004年限りで私を引退させるのは最初から決まっていたそうなんです。しかし、どういう形でユニフォームを脱がせるのがいいのか。思えば2004年の1月2日、私は就任したばかりの落合監督から電話を受けました。

「今年の開幕投手は川崎、おまえでいくから」

2 / 3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る