巨人・中島宏之は通算2000本安打を達成できるか。偉業達成寸前で涙を呑んだ7人の好打者たち (4ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi
  • photo by Kyodo News

村田修一(横浜、巨人)/通算1865安打

 東福岡高校時代の3年春のセンバツで、当時エースだった村田は横浜高校の松坂大輔と対戦。その時、松坂のピッチングを見て投手としての限界を感じ、日本大学進学後に打者に転向した。

 大学球界屈指の長距離砲となった村田は、2002年に自由獲得枠で横浜(現・横浜DeNA)に入団。1年目から25本塁打を放つなど、自慢の長打力を生かしたバッティングでレギュラーに定着すると、07年36本塁打、08年46本塁打で本塁打王のタイトルを獲得。

 2012年にFAで巨人に移籍すると、本塁打数こそ減少したが、逆にしぶとい打撃が目立つようになった。13年には自己最多となるシーズン164安打を記録するなど、巨人でも順調に安打数を積み重ねていった。

 2017年終了時点で2000本安打まで残り135本としたが、巨人は若返りを図り、村田と契約を結ばなかった。18年にBCリーグ(独立リーグ)の栃木ゴールデンブレーブスに移るが、NPB球団からのオファーはなく、この年限りで引退を決意した。

石毛宏典(西武、ダイエー)/通算1833安打

 入団1年目の1981年、石毛は127安打、打率.311、21本塁打の成績を挙げ新人王に輝く。ちなみに、新人の「打率3割、20本塁打」は、58年の長嶋茂雄(巨人)、石毛、86年の清原和博(西武)、2021年の牧秀悟(DeAN)の4人しかいない。

 石毛はその後も西武黄金期の主力として長く活躍。ルーキーイヤーから1994年まで14年連続100安打以上を放ち、通算1806安打を積み重なる。だが94年オフ、森祇晶監督の後任監督の打診を受けたが、石毛は「今でなくても監督はできるだろうし、2000本安打も頭にあった」と固辞。そして石毛はFA権を行使して、ダイエーに移籍。

 移籍1年目の1995年、故障で出遅れ24安打に終わると、翌年は出場機会も激減してわずか3安打に終わり、オフに来季の構想外を告げられ引退を決意した。

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