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斎藤佑樹がついに手にした早実の背番号1。だが「なぜこのタイミングで...」と困惑した (4ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

 当時の僕は試合で投げる時、やたらと自分に対してイライラしていました。打たれ始めると真っすぐばっかり投げてしまったり、キャッチャーがサインを出す前に振りかぶって監督から「順番が違うだろ」と怒られたこともあります。

 いつも立ち上がりはテンポよく入って、5回まではピタピタに抑えていても、いきなり崩れてしまう。しかも自滅するような崩れ方が多くて、身体も元気でスタミナもあるはずなのに、なぜこんなに思うようにいかないんだろうって......当時、自分が導き出した答えは、本気で疑問と向き合うしかない、ということだったと思います。

 5回に崩れるなら、5回をあえて特別な回として迎える。「5回さえ凌げば、絶対に9回まで投げ切れる。だからこの回がオレにとっての山場なんだ」と自分に言い聞かせるようにしたんです。意識しないように、じゃなくて、意識しまくって投げてやる、イニングの頭からピンチだという意識でいってやると考えて、いきなりセットポジションから投げたり、いろんなことを試しました。それが徐々にうまくいった気がします。

 2年になってからの春の東京都大会も3回戦で負けてしまいました(初戦が2回戦で都墨田工に7−1で勝利、2試合目が都城東に3−4で敗退)。そんななか、2年の夏の大会を前に、僕は背番号1をもらいます。監督から発表があった時、なぜこのタイミングで僕を1番にするんだろうと思いました。

 1年秋は11番で、2年春も僕は10番で、高屋敷さんが1番です。正直に言えば、当時は、球のスピードや変化球のキレは僕のほうが上だけど、練習態度や周りへの影響力を考えて高屋敷さんがエースなんだろうな、と思っていました。だからこそなぜ、高屋敷さんにとっての最後の夏に、今さら僕を1番にするんだろうと考えました。

 自分なりにその意味を考えましたが、たぶんこれはひとつには高屋敷さんにプレッシャーをかけるということ、そして僕に対して「これからはおまえが独り立ちしないと甲子園は行けないぞ」という監督からのメッセージなのかなと。1番をつけられなかった高屋敷さんは泣いていたそうです。

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 和泉監督は「斎藤と高屋敷の関係を逆転させることで、斎藤の自覚と高屋敷の悔しさから生まれる化学反応に期待した」と話していた。しかしこの2年の夏、斎藤にとってはあまりに高い壁が立ちはだかっていたのである。

(第8回へ続く)

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