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斎藤佑樹がついに手にした早実の背番号1。だが「なぜこのタイミングで...」と困惑した (2ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

 なにしろ長年の部の規則ですからそんなに簡単じゃなかったと思いますが、和泉(実)監督も佐々木先生も理解してくれて、最初は「兄とふたり暮らしで大変だから斎藤だけ」みたいな感じでオッケーになったんです。そのうち「ほかの1年生も斎藤と一緒に行ってやれ」となって、そのルールはなくなりました。おかげで昼は学食に行けるようになりましたし、食べることに困ったらコンビニに寄れるようにもなりました。

 ほかに1、2年は通学時に学帽をかぶらなければならないというルールもあったんですが、それも僕らの代になくしました。学帽をかぶるのが学校の伝統だというのなら3年生はかぶらなくていいというのはおかしいし、1、2年だけというならそのルールは必要ないでしょう。理不尽なことには意味がないと思っていましたし、そんな雰囲気では甲子園に行くのなんか無理だろと、僕はけっこう本気で思っていました。

早実の考える野球

 とはいえ、当時から早実はひと昔前のありがちな野球部のスタイルとは一線を画していたと思います。監督や先輩の言葉には絶対服従、後輩は「ハイ」としか言えないような野球部ではなく、先輩、後輩が一緒になって話し合いながら、さらに上の目標を見出そうとする雰囲気があったんです。

 ちょっときれいに言うなら、早実は考える野球ができていると感じていました。そういう素養のある選手が集まっていたこともありますし、そもそも早実の校風がそうだったということも大きかったのかもしれません。

 実際、卒業されたOBには起業している方が多いそうですし、起業するためには自分から何らかのアクションを起こさないといけません。野球部にも自分から何かを発信しようという素養がある選手は多かったと思います。

 練習内容についても、選手それぞれが個人でオシャレなトレーニングジムへ通ったり、パーソナルトレーナーに見てもらっていたり、ちょっと普通とは違う感じを出している選手が多かったという印象はありますね(笑)。

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