山本昌が驚愕した懐かしの助っ人7選。「なに、このパワー?」「どこに投げればいいの?」 (2ページ目)

  • 中島大輔●文 text by Nakajima Daisuke
  • photo by Kyodo News

 いわゆる"変態打ち"で、ワンバウンドのボールを打ったり、ありえないコースの球を右にも左にもホームランにしたり......だから、こっちとすれば高めで勝負なんですけど、中途半端な高めは打たれます。難しいバッターでしたね。カブレラはオリックス、ソフトバンクを含めて日本で12年間もプレーしているので、ほかの投手も相当痛い目にあったと思います。タイロンとともに嫌なバッターでした。

記録にも記憶にも残った3人

 その次に思い出すのがタフィ・ローズ。僕は入団5年目の1988年にロサンゼルス・ドジャースのマイナーで留学していた時に向こうで対戦しているんです。彼が20歳の頃ですね。

 当時からいいバッターで、1Aのオールスターにも一緒に選ばれました。僕らのほかにも、阪神でプレーしたデーブ・ハンセンや、ダイエー(現・ソフトバンク)でプレーしたブライアン・トラックスラー、日本ハムで最多勝を獲得したキップ・グロスがいました。

 ローズの本名は「カール」だけど、タフだから「タフィー・ローズ」。1996年に近鉄に来た時には、以前よりも体が大きくなって、スイングも速くなっていました。日本ではホームラン王を4度獲得、NPBで400本塁打以上(通算464本)打った唯一の外国人ですけど、ホームランバッターという感じではなく、僕のなかではアベレージヒッターの印象が強いですね。外国人選手としては歴代2位の通算1792安打を放ちましたが、とにかくヒットゾーンの広い選手でした。

 好打者で思い出すのが、アロンゾ・パウエル。1992年からドラゴンズでプレーして、1994年から3年連続首位打者に輝きました。勝負強いバッティングで、僕もすごくお世話になり、強く印象に残っています。

 なぜ強く印象に残っているかと言うと、1998年にタイガースに移籍して、対戦することがあったのですが、何を投げても打たれたイメージがあったからなんです。大きい当たりを打つわけではないんですけど、低めも高めもうまく打つ。変化球の対応もうまくて、弱点がない。日本の野球に本当に合っていたのでしょうね。

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