広岡達朗の「監督論」。ビッグボス絶賛の理由、立浪采配への期待、落合博満の次期阪神監督にも言及 (4ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin
  • photo by Kokei Yoshihiro

 広岡に言わせれば、落合は徹底的に身体づくりを強化し、選手の気持ちを動かし、努力する意識を芽生えさせるのがうまい。しかし落合政権が終わるとポッカリと空白期間のようになってしまい、チームはすぐ失墜していった。

 これは、コーチ人事をすべて落合に委ねたばっかりに、首脳陣に生え抜きOBを入れなかったせいでもある。常勝軍団を継承するためには、球団という組織である以上、やはり優秀な生え抜きOBの力はどうしても必要となってくる。

日本の指導者は勉強が足りない

 メジャーと違って日本のプロ野球の監督の役割は現場の指揮以外に、球団の広告塔を兼務するのが当たり前となっている。そのためか監督人選の最重要事項において能力よりネームバリューを求めがちになってしまう。落合がすごいところは、監督の仕事を「チームを勝利に導くため指揮する現場の責任者」と古い慣習にとらわれずに、完全に割り切っている部分。そういう点から見ても広岡と落合は非常に酷似する。

「日本の野球のいいところは、礼に始まり礼に終わる。教え方が間違ったら、腹を切れ! それくらい責任観念を持って教えるってことが大事なんですよ」

 何度も"責任観念"の単語を連呼する広岡にとって、今の指導者を見ても覚悟の度合いがどうにもこうにも物足らないと見える。

「監督というのは、選手はもちろんコーチも育てる。自分に足らないものはコーチと一緒に勉強していけば、自ずと能力は上がる。勝つことで選手もファンも幸せになっていくんだ。やるべきことをやらないでよくなるはずがない。日本の指導者は勉強が足りない。要するに、指導者の勉強する場をつくらない今のプロ野球界がどうかしている。生きているうちは死ぬまで勉強をやり、最後の最後まで頭を使う。肉体は自分を表現する道具。肉体や精神が主役だと思っているから堕落する」

 ファンが求める監督とは何かという前に、監督の本質をきちんと見定めているのか。監督になる資質が己にあるかどうかを見極めてから、不退転の覚悟を持って臨んでいるのか。昔の名前で監督になり、ベンチでふんぞり返っていて勝てるわけがない。自分の理論が正しいと思っても、やらなかったら価値がない。勝ちにこだわるというのは、頭をフル回転させて常に勉強する姿勢を保つことが第一の条件。

 広岡の言葉は、監督の真髄に直結する言葉でもある。

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