斎藤佑樹、早実入学直後の思い。プロ注目の先輩ふたりを「軽く超えなくてはいけない」
連載「斎藤佑樹、野球の旅〜ハンカチ王子の告白」第5回
2004年の春、斎藤佑樹が早稲田実業へ入学した。当時、春17度、夏は26度の甲子園出場を誇っていた東京の名門は、春は1988年以来16年、夏は1996年以来8年もの間、甲子園から遠ざかっていた。
名門・早稲田実業の野球部で甲子園を目指すことになった斎藤佑樹(写真中央)この記事に関連する写真を見る
高校で初めて経験した上下関係
早実の野球部に入ることになってすぐのことです。チームが宮崎で合宿を行なうことになっていて僕も参加することになりました。と言っても、新入生は神田(雄二)と後藤(貴司)、中山(浩太)、長田(雅司)と僕の5人だけ。ピッチャーは僕ひとりでした。
最初に僕が行った時、『群馬から140キロを投げる大男がくる』(笑)みたいな噂があったらしいんです。たぶん東京の人からすると、すげえヤツが田舎から出てくる、ちょっとヤベえぞ、みたいな感覚があったんでしょう。東京だとシニアとかボーイズで名前が知れ渡っているじゃないですか。「ああ、どこどこのアイツね」みたいな......でも、僕は群馬の軟式野球部だったし、田舎だからって勝手に大男のイメージができあがっていて、そんなパワーワードになっちゃったんでしょう。実際に現れたのは大男とは真逆の僕ですから、みんな、意外そうな顔をしていましたね。
宮崎で最初に感じたのは、高校野球の上下関係です。といっても厳しいとかそういうことじゃなくて、2年生が3年生の顔色をやたらと窺ってるなとか、そういうところかな。宮崎合宿では4人部屋で、僕は2年生の3人と一緒になったんですけど、野球の話より先輩に対する愚痴のほうが多かったんです。僕、中学までは上下関係というものがない環境で野球をやってきたので、こういうものなのかと思いました。基本、人間はみな平等だと思ってるんで(笑)。
和泉(実)監督に最初にお会いした時には、すごく優しそうで雰囲気のある方だなと思いました。達観しているというか、すべてを見抜かれているような感じがしたんです。中学までの野球部と、名門と言われる高校野球部に、独特の雰囲気を持った和泉監督......今までとはあまりに違う雰囲気のなかに飛び込まなければいけない、そのギャップはすごく感じていました。
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