斎藤佑樹、早実入学直後の思い。プロ注目の先輩ふたりを「軽く超えなくてはいけない」 (4ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Kyodo News

兄とのふたり暮らし

 ほどなく、早実の王貞治記念グラウンドが完成して、野球部の練習はそこでやることになりました。グラウンドは学校から1時間ほど、群馬とは反対方向の八王子の南大沢にありました。となると、帰りは3時間かかってしまいます。

 ちょうどそのタイミングで、兄と一緒に東京で暮らす話が持ち上がりました。兄は大学進学を目指して予備校へ通っていたのですが、ふたりで一緒に東京で暮らそうと言ってくれたんです。国分寺のアパートを借りて、僕は早実へ、兄は予備校へ通う日々が始まりました。兄弟のふたり暮らしですから炊事や洗濯、大変なことはいろいろとありました。でも、通学時間は20分くらいになりましたから、これは本当にラクになりました。

 入学してすぐの高1の春、早実は東京大会で2位になったんです。決勝で関東一高に負けたんですけど、関東大会に出て、涌井(秀章)さんのいる横浜高校に負けた。それでも関東一は東東京で、早実は西東京でしたから、これは夏、甲子園へ行けるんじゃないかという空気になりました。

 日野さんと村山さんのふたりのプロ注(プロ注目)のピッチャーがいて、春は東京で2位になって、僕の一つ上の先輩たちも「あのふたりがいたら絶対に甲子園へ行けるよね」なんて話をしていたので、「甲子園ってこんなにあっさり行けるんだ」と僕もそんな空気に流されてそう思っていました。

 1年の夏には僕でもベンチ入りに挑戦できるかな、という感じはありました。周りの1年生のなかにレベルの高い選手はいましたけど、それは中学時代から硬式をやっているアドバンテージがあったからだろうし、僕も硬式に慣れさえすれば1年生のなかでは抜きん出ている自信はありました。

 小柳(竜巳)も白川(英聖)も後藤も身体は大きかったし、制服を着ていると「コイツ、すごそうだな」と思うんですけど、ユニフォームを着て野球をしている姿を見たら、「オレも勝負できるかもな」と思えたんです。身体は小さくても、センスでは負けてないと思っていましたから。だから硬球に慣れればもっと打てるだろうし、投げ方のコツを掴めばスピードも出るだろうし、キレのある変化球も投げられるだろうなと思っていました。

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 実際、1年の夏、斎藤は西東京大会に臨む早実のベンチ入りを果たす。背番号は18。1年生では後藤と神田の3人がメンバーに入った。シード権を得ていた早実は3回戦から夏の甲子園に挑む。

(第6回へつづく)

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