プロ未経験を武器に無名選手を次々に発掘。「死ぬまでスカウト」を実践した今成泰章氏を偲ぶ (2ページ目)

  • 安倍昌彦●文 text by Abe Masahiko
  • photo by Kyodo News

スカウトは敵が多いほど一人前

 だいぶ言葉を交わすようになってから、こんなことを言っていた。

「いいものはいい、ダメなものはダメ。ホントのことだけを言っていると、若いのに生意気だって言われてね。でも、お世辞なんて、要するにウソでしょ。時間はかかるかもしれないけど、『今成はウソを言わない』ってことが浸透すれば、必ず信用される。その代わり、ほかのスカウトにはウソは言うけどね(笑)」

 スカウトの仕事には、人一倍のプライドと誇りを持っていた。

「いろいろ言う人がいるみたいだけど、スカウトなんて選手を奪い合う商売なんだから......敵が多いほど一人前ってことよ」

 阪神のスカウト時代は、"盲点"となっていた選手を推薦して、彼らがしっかり一軍の戦力となり、チームの底上げに尽力した。

 1984年2位指名・佐藤秀明(投手/日立製作所)、同3位指名・和田豊(内野手/日本大)、1990年4位指名・田村勤(投手/本田技研)などがそうだ。

「プロ経験のあるスカウトから見れば、非力に見えてリストから外す選手でも、オレみたいなアマチュアの経験しかないスカウトは、『ちょっと待てよ、意外と使えるんじゃないの』って思ってしまう。すごい選手ばかり目がいかないっていうのが、逆にプロを知らないオレの強みなんじゃねえかなって思うんだ」

 プロ経験者が多いスカウト会議で、注目度のあまりない選手を強く推すのに、相当の苦労があったはずだ。

「たしかに和田なんて、間違ってもホームランなんか打てないような選手だったけど、試合でも練習でも、絶対に手を抜かなかった。オレはチームのリーダーになれると思った。3位で指名したのは、おふくろさんが反対していたから。和田は教員になるって言っていて......それで上位で指名したんだ」

武田勝、獲得秘話

 2003年に日本ハムに移ってからは、ダルビッシュ有(東北)や大谷翔平(花巻東)の担当スカウトとして名を馳せたが、個人的には2005年4位の武田勝(投手/シダックス)の指名が今成スカウトの真骨頂だと思っている。

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