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臨時コーチ・赤星憲広が日本ハムナインに伝えた「走塁技術以外」の極意。新庄野球の全貌が見えてきた (2ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi
  • photo by Sankei Visual

5年連続盗塁王の韋駄天

 赤星氏は、新庄監督がFA権を取得して2001年にメジャーに渡ったのと入れ替わりで阪神に入団した。

 大府高校(愛知)では遊撃手として甲子園に出場し、亜細亜大時代は外野手として日本一を経験。JR東日本では、チーム9年ぶりの都市対抗出場の立役者となり、2000年のシドニー五輪の日本代表にも選ばれた。

 当初は「足だけの選手」という理由で、阪神のドラフト指名リストに入っていなかったが、赤星のプレーを見た野村克也監督の"鶴のひと一声"で急転直下4位での指名となった。

 そうした経緯でプロ入りした赤星氏だったが、入団1年目から5年連続盗塁王に輝き、打率3割以上を5度マーク。ベストナイン2回、ゴールデン・グラブ賞6回を獲得するなど、走攻守においてチームの顔となり、2003年、2005年にはリーグ優勝の原動力となった。

 ダイビングキャッチの際、脊髄を痛めて2009年限りで引退を余儀なくされたが、通算9年間で1127試合に出場し1276安打、打率.295、381盗塁の成績を残した。

 2月7日、日本ハムのキャンプ地に訪れた赤星氏は、新庄監督から「守備以外を教えてほしい。守備はオレがいるから」と言われ、野手陣に"盗塁術"を伝授した。

 昨年の盗塁王は、セ・リーグが中野拓夢(阪神)の30個、パ・リーグは西川遥輝(日本ハム→現・楽天)、荻野貴司、和田康士朗(ともにロッテ)、源田壮亮(西武)の4人が24個でタイトルを分けあった。

 だが赤星氏の現役時代は、古田敦也(ヤクルト)、谷繁元信(中日)、阿部慎之助(巨人)など、強肩捕手が揃っており、盗塁は容易なことではなかった。それでも赤星氏は2003年から3年連続で60盗塁以上をマークした「韋駄天」だった。

 盗塁を含めた積極的な走塁はチームに好影響を及ぼす。先述したロッテをはじめ、ここ数年、積極走塁を前面に押し出して好成績をあげている阪神がいい例だ。

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