阿部慎之助、イップスの告白。前途洋々のルーキーを襲った1年目キャンプの悲劇
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連載第31回 イップスの深層〜恐怖のイップスに抗い続けた男たち
証言者・阿部慎之助(1)
イップスの取材をするようになってから、その名前は何度も耳にしていた。
「阿部もイップスでしょう? 見たらすぐにわかったよ」
プロ野球の世界でイップスになった者は、ほぼ例外なく「同類」を見抜ける。まるで体内に寄生された悪魔をお互いに感知するかのように、言葉を交わさずとも通じ合えるのだ。
中央大から強肩強打の捕手として逆指名で巨人に入団した阿部慎之助だったが...この記事に関連する写真を見る 阿部慎之助という球史に名を残す大捕手が送球イップスに冒されているということも、イップスに苦しんだ者の間では周知されていた。
2019年限りで現役引退したあと、阿部が密かにイップスに苦しんでいたという裏話がぽつぽつと報じられるようになった。
だが、阿部のイップスを認識していた野球ファンはどれほどいただろうか。筆者も別の取材対象者から教えられるまでは知らなかった。
錚々たる顔ぶれの巨人投手陣
現役時代は触れられたくないことだったのか。そう尋ねると、今季から巨人の一軍作戦兼ディフェンスチーフコーチになった阿部は「なんだろうなぁ」と思いを巡らせ、こう答えた。
「触れてほしくはなかったですね。だけど、隠すというよりは、もうみんな知ってるんだろうとは思っていたので」
阿部がイップスを発症した時期は「プロに入ってすぐ」だという。
阿部は2000年ドラフト会議で巨人を逆指名したうえで1位入団している。同年に巨人はダイエーを下し、日本一に輝いていた。
投手陣は錚々たる顔ぶれだった。工藤公康、桑田真澄、上原浩治。晩年とはいえ、斎藤雅樹や槙原寛己もいた。中央大からいきなり名門球団にやってきた新人捕手は、「大先輩にちゃんと返球しないといけない」と密かにプレッシャーを感じていた。
春季キャンプ中のある日、阿部はブルペンで年上の左投手の投球を受けていた。捕球した阿部が、返球しようとした刹那、左投手が体勢を崩した。「あっ」と思った時には、もうボールは指先から離れていた。
向かって左方向へとよろけた投手は返球を捕球できず、ボールは投手の頭をかすめて背後のシャッターに直撃する。
「ガーン!」
けたたましい音が響いた。幸いにも先輩投手をケガさせることはなく、阿部は胸をなでおろした。だがこの瞬間、阿部の内部に今までにないものが宿ってしまった。
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