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「大洋があと1回優勝していれば歴史は変わった」とポパイ長田は言った (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

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 選手の私生活に干渉しないようでいて、じつは独自の情報網によって、選手の行動をすべて掌握していた。したたかな監督だと思うし、よほど人心掌握術に長けていたのだと実感できる。

「だからね、選手はうんもすんも言えない。『おまえ、今日使うけど、失敗したら二度と使わねえ!』って脅しかけられるからね。そうすると、選手も火事場の馬鹿力で結果を残すんですよ。そういうとこが普通の監督とは違うんですよね、三原用兵っつうのは」

 西鉄監督時代の三原用兵について、僕はこれまでの取材で何度か聞いていた。が、大洋監督時代の用兵は今初めて長田さんから聞いて、感じたことがある。もしや、大洋監督時代の三原は、西鉄時代以上に選手のことをわかっていたのではないか。

「僕はそう思います。わかってましたよ、我々の気持ちを......。ちょっと失礼」

 店の扉が開いて、背広姿のお客が入口に立っていた。すでに開店の5時を過ぎ、時間的な余裕はなさそうだ──。席に戻った長田さんに、早速、外野席に入ってしまった時の話を聞く。

 1964年7月12日、川崎球場での巨人戦。長田さんがレフトを守っていたところ、酔客にウイスキー瓶を投げつけられた。激怒した長田さんは逃げる客を追ってフェンスをよじ登り、客席に乱入したため、ルール違反で退場処分になったということだ。

「僕はその、巨人キラーだったからね。それがすべてだったから、我々としては。だから狙われたんです。巨人ファンに。もう、その時だけじゃない、何回もやられてるんです。石をぶつけられたりね。
 
 で、その日は守備に就いてポッと振り向いたら、ニッカの四合瓶が耳をかすっちゃったんです。それでウチのファンが『この人だ!』って言うから捕まえに行こうと思って、塀を乗り越えて、追っかけてったんですよ。別に暴行を加えようとか、そんな気持ちじゃなくて」

川崎球場の川崎球場の"乱入事件"について明かす、取材当時の長田さんこの記事に関連する写真を見る

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