ヤクルト17年目で初のゴールデングラブ。角富士夫はどれだけ新外国人が加入しても腐らなかった

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Kyodo News

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【第一印象は「九州のワルかな?」】

――広岡達朗監督時代のヤクルトV1メンバーについて伺っています。今回からは長年にわたってチームメイトだった角富士夫さんについてお聞きしたいと思います。1974(昭和49)年のドラフト2位で、福岡第一高校からヤクルトに入団した角さんは、年齢も、プロ入りも八重樫さんの5年後輩になりますね。

八重樫 最初に会ったのは入団の前年だったかな? その時、角は学生服姿だったんですけど、詰襟がものすごく高いというか、長かったんです。それまでに見たことがないぐらいの長い襟で、「ずいぶん悪そうなカッコをしているな」と思ったのが第一印象。でも、当の本人は純朴な九州の青年なんですよ。後で聞いたら、当時の福岡第一高校はワルも多かったようですけどね(笑)。

ヤクルトひと筋20年で活躍した角富士夫ヤクルトひと筋20年で活躍した角富士夫この記事に関連する写真を見る――まずは見た目のインパクトがすごく強かったんですね。内面的にはどうでしたか?

八重樫 いわゆる「九州男児」のような男らしさ、強さのようなものは何も感じなかったな。どちらかというと、物静かで控えめで、僕らと同じ東北の人間のような印象でしたね。その印象はずっと変わらなかったな。でも、ひとたびユニフォームに着替えると、九州の男という感じはしましたよ。

――どういう点が「九州の男」なんですか?

八重樫 とにかく負けず嫌い。顔には出さないんだけど、練習態度、プレースタイルにはよく出ていました。アイツは決して足は速くないんですが、タイムトライアルをやっても、水谷(新太郎)とか足の速い選手に何とか食らいついて、一生懸命に走るんです。それでも現実は、水谷には全然勝てない。その時の悔しがり方はハンパじゃなかった。オーバーに「悔しい!」と態度に出すわけじゃないけど、目に表れているんですよね。そういう時に、「九州の男だなぁ」って感じました。

――角さんはドラフト2位。高校生ながらの上位指名でしたが、それだけのポテンシャルは感じましたか?

八重樫 最初は、まったくそんな感じはしなかったですね。投手として甲子園に出ていたけど、入団時にはもう内野手に転向していたと思います。彼の場合は、入団から1年ずつ、少しずつ技術が向上していって、広岡監督時代に抜擢されたというイメージが強い。バットスイングが速いわけじゃないんだけど、ボールをとらえるタイミングとポイントがすごくいいんですよ。だから、バッティングの調子の波が小さくて、「あぁ、こういう点を評価されたのかな?」と思っていました。

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