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「逃げたら、どうなりますか」。アテネ五輪時の主将・宮本慎也が本戦直前に高木豊に漏らした言葉 (2ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo

――宮本さんも相当なプレッシャーを感じていたんでしょうか。

高木 アテネに出発する日、成田空港で慎也とお茶を飲みながら話していた時に、「高木さん。ここから逃げたら、どうなりますかね」とボソっと言ったんですよ。相当なプレッシャーを感じていたんだと思いますね。僕はそれに「お互いに、ここで逃げたらもうプロのユニフォームは着れないな」と答えたのをよく覚えています。

――日の丸の重み、当時の緊張感が伝わってくる話ですね。

高木 もうひとつ印象的だったのは、日本(札幌)で行なわれたアジア予選の最後の試合(韓国戦)が終わったあとの行動。宿泊先の部屋のドアを開けたら、パラッと手紙が落ちたんです。「何かな?」と思って見たら、慎也からの手紙でした。

高木氏が保管していた宮本氏の手紙 photo by Murakami Shogo高木氏が保管していた宮本氏の手紙 photo by Murakami Shogo――手紙には、どんな内容が書かれていたのですか?

高木 まぁ、ありきたりですよ。(実際に当時の手紙を手に持ちながら)、「高木さん、本当にありがとうございました」と書かれていました。うれしかったですね。たぶん、首脳陣や選手、裏方の方たち含め、全室のドアに手紙を挟んでいたんじゃないかと。もう17年も前の手紙ですし、名前の部分がちょっと切れてしまって「慎也」だけになっているけど、この手紙は絶対に捨てられないです。

――宮本さんのキャプテンシーが、さまざまなところに生かされていますね。

高木 本戦では1カ月近くアテネにいて、行動範囲は狭まってストレスがたまっていくんですが、そういった状況ではどうしても問題が起きるんですよ。でも、その度に慎也がしっかりチームをまとめて、ひとつにしてくれていました。

 慎也はアテネ五輪のあと、北京五輪やWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)にも出ていましたけど、「アテネのチームが一番よかった」といったことを今でも言ってくれています。

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