アテネ五輪、野球日本代表の混乱。高木豊が語る長嶋監督不在の重圧と影響 (2ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo

――当時は、「日本が普通に戦えば負けない」というのが大方の見方だったと思います。

高木 僕を含め、メンバーのほとんどが国際試合を戦ったことがなかったので、経験がある方々に聞くと、「何が起こるかわからないのが国際試合」だと。実際に、韓国と台湾の試合を観る機会があったのですが、優勢と見ていた韓国がエラーを起点に追いつかれて延長で負けたんです。目の前にそういう光景を見せつけられて......。「これが、うちのチームで現実になったら」って思うと怖かったですよ。プレッシャーというよりも怖さですね。

 アジア予選の1試合目の中国戦では、僕がシートノックを打つわけですが、プレッシャーからなのか選手たちは声が出ないし、動かない。試合前にベンチの前で円陣を組み、健闘を誓って握手をすると、みんなの手が汗でベトベトしていて「相当緊張しているな」と思いました。

当時を振り返る高木氏 photo by Murakami Shogo当時を振り返る高木氏 photo by Murakami Shogo――予選を勝ち抜いてアテネ五輪への出場権は得ましたが、本戦を前に長嶋監督が脳梗塞を患って入院し、中畑清ヘッドコーチが代わりに指揮を執ることになりました。その時のチームの様子はどうでしたか?

高木 あくまで監督は長嶋さんということで、中畑さんは監督という名目は付けなかった(登録上は監督)んですよね。試合が始まる時、みんなが長嶋さんのユニフォームにタッチをしてからグラウンドに散っていったのですが、「果たして選手たちはどっちを向いてやっているのかな」とは思っていました。中畑さんを思う気持ちがある一方で、長嶋さんの偉大さも感じていただろうし。

 それでも、なんとかチームにしなきゃいけないし、指揮を執っているのは中畑さん。監督としてものを言うのか、ヘッドコーチの立場として言うのか......。長嶋さんとはFAXのやりとりもあったのですが、そういったことも含めて中畑さんの大変さは感じていました。

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