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あと9勝で200勝も松岡弘はなぜ引退したのか。八重樫幸雄が感じた「心のスタミナ切れ」 (2ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

【200勝まで、残り9勝での引退劇】

――確かに1980年代初頭の松岡さんは、序盤はいいんだけど、中盤以降に崩れるケースが多かった記憶があります。

八重樫 そうなんだよね。5回を過ぎたあたりから、右腕をぐるぐる回して、肩を気にする仕草が多くなってくる。そうすると、ピッチングコーチがベンチから出てきて、「おいマツ、大丈夫か?」って聞くんです。普通だったら、「はい、大丈夫です」って答えるところを、この頃の松岡さんは、一拍間を置いてから小さな声で「大丈夫です」と答えるようになっていたんだよね。

――それは、自信のなさの表れなんですか?

八重樫 たぶん、そうだと思います。少なくとも僕にはそう見えました。そういうことが何度か繰り返された後、松岡さんが肩を気にし出したら、すぐに交代というケースが増えていったんだよね。リードしたまま、後輩ピッチャーがマウンドに上がるんだけど、後輩たちは「松岡さんの白星を消しちゃいけない」と緊張でガチガチだったんだよ。

――松岡さんの200勝が間近だということは、当然知っていますからね。

八重樫 もちろん、みんな知っていました。それで結局、若いピッチャーが打たれて、逆転されて松岡さんの白星が消えていく。そんなケースは何度もありましたね。

――めちゃくちゃ記憶にあります。「サッシー」こと、酒井圭一さんが松岡さんの白星を消して、幼心に憤慨したことをよく覚えています(笑)。

八重樫 でも、あんな場面で投げなきゃいけなかった酒井もかわいそうですよ。だから、松岡さんに言ったことがあります。「松っつぁん、とにかく7回まで頑張りましょう。そうしないと200勝は見えてこないよ」と励ましたんだけどね。

――1984年は24試合に登板、そのうち13試合は先発したのに1勝5敗でした。まさに、この頃の出来事ですよね。

八重樫 そうですね。そういう状態が数年続いて、結局スタミナも持たなくなってきた。それで、200勝まで残り9勝で引退してしまったんです。あの頃は、チーム全体で「松岡さんに200勝を達成させたい」という思いを持っていたんですけどね。本人もかなりのプレッシャーがあったんでしょう。だから、勝ち投手の権利を得たら「早く代わりたい」と思ったのかな? 本当のところは本人にしかわからないけどね。体の限界もあったのかもしれないけど、体よりも心のスタミナが切れてしまったような印象です。

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