2021.02.22

念願のプロ野球デビュー。白仁天は夢かと思い、審判の足を蹴ってみた

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

「令和に語る、昭和プロ野球の仕事人」 第15回 白仁天・後編 (前編から読む>>)

 個性あふれる「昭和プロ野球人」の過去のインタビュー素材を発掘し、その真髄に迫るシリーズ。1960年代に韓国から日本のプロ野球入りを目指した白仁天(はく じんてん、ペク・インチョン)さんにとって、当時の時代背景もあって、その道のりは平坦ではなかった。

 台湾で開催されたアジア野球選手権からの帰路、立ち寄った東京で、東映(現・日本ハム)と電撃的に仮契約を結んだ白さんは、韓国政府要人の口添えもあって、ようやく入団を果たす。そして日本で首位打者などの実績を残したあとは、韓国プロ野球の黎明期に大きく貢献。インタビューでは、日韓をつなぐ野球人としての熱い思いが語られた。

1969年、大杉勝男のサヨナラ安打で豪快に生還する白仁天。元スケート選手で脚力も高かった(写真=共同通信)

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「(東映と仮契約した)あのとき、知り合いの人が前に交渉してたんです。『僕はどの球団でも構わない、お金の問題じゃない』と言ってて。でも、仮契約のことがすぐにマスコミに広がって大変でした。戻ったら大勢の記者がうわっと入ってきてて、バンバン写真撮られて。嫌になってバーンとホテルを飛び出してね、日比谷公園の前まで走って逃げたわけですよ。はっはっは。

 韓国選手団にも、何も言ってなかったんです。選手も、監督も、一緒にいた大韓野球協会の会長も、誰も知らなかったですよ。だから、監督と会長から怒られてね」

 韓国球界としては、代表チームの攻守の要を日本に渡すわけにはいかなかった。一方で当時の韓国は、61年5月に軍事クーデターが起きて以降、軍政が敷かれていた。このクーデター政権は危機的状況にあった経済の再建を目指し、日本からの資金を必要としていたため、日韓の関係改善を推進していく。そうした政治的な背景もあったなか、白さんの日本プロ野球入りが実現することになる。