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「軽い気持ちで挑戦があっさり変化」
潮崎哲也の人生を変えた魔球誕生秘話

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki
  • photo by Sankei Visual

魔球の使い手が語る
「伝家の宝刀」誕生秘話
潮崎哲也(シンカー)編

 この球を投げられたら終わり──。バッターを絶望に陥れ、多くのファンを魅了してきた「伝説の魔球」の数々。それらの「伝家の宝刀」は一体どのように生まれたのか。魔球の使い手がかつてスポルティーバに語った貴重なインタビューを掘り起こし、あらためてそのすごさを振り返る。

 フワッと浮いたかと思えば、バッターの目の前でストンと落ちる。西武ライオンズの黄金時代、潮崎哲也のシンカーに誰もが目を奪われた。まるでピンポン球を扱っているような、かつて見たことのない軌道──それは意外な発想の転換から生まれたものだった。

15年の現役生活で82勝55敗55セーブを挙げた潮崎哲也15年の現役生活で82勝55敗55セーブを挙げた潮崎哲也 シンカーを覚えるまでの高校時代の僕は、真っすぐとカーブしか投げられない2番手ピッチャーでした。あれは高校3年の春くらいだったと思うのですが、きれいなシンカーを投げるピッチャーと練習試合をしたんです。その際、監督から「おまえもああいうピッチャーを目指さないといけない」と言われまして......。それがシンカー挑戦へのスタートでした。

 ただ、その頃の僕としては、「シンカーというより落ちる球を覚えて、投球の幅を広げたい」というのが本音でした。だから、フォークやナックル、チェンジアップと縦に変化するボールはひと通り練習しました。でもどれもなじまず、そのなかで最もしっくりきたボールが、シンカーだったんです。

 発想はすごく単純でした。高校時代はまだ完全なサイドスローではなく、どちらかというとスリークォーターに近い投げ方で、カーブが大きく曲がるタイプのピッチャーで、「じゃあ、カーブとまったく逆の握りにしたら正反対の変化をするのでは......」と思って、ブルペンで試したんです。軽い気持ちでやってみたら、あっさり変化してしまった。

 わかりやすくいえば、右ピッチャーの僕が、左ピッチャーのカーブのように大きく変化させることができたんです。横投げの投手が得意とするシュートも満足に投げられないのに、自分の頭のなかで描いたとおりのボールを投げられるなんて、ちょっと意外でしたけどね。

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