2021.01.08

人的補償後の成績を左右するもの。藤井秀悟が指摘する「当事者の意思」

  • 森大樹●取材・文 text by Mori Daiki
  • photo by Kyodo News

人的補償の男たち(4)
藤井秀悟(巨人→DeNA) 

「結果として選ばれてよかったですし、そうなるように頑張れたのかなと思います」

 現在DeNAの「打撃投手兼広報」として"二足のわらじ"を履く藤井秀悟は、現役時代に貴重な先発左腕として4球団を渡り歩いた。

2012年1月、人的補償で4球団目となるDeNAに移籍した藤井2012年1月、人的補償で4球団目となるDeNAに移籍した藤井  トレード、FA、人的補償と異なる形での移籍を経験しながら、プロ15年間で積み上げた勝ち星は83。ヤクルト在籍時には最多勝(2001年・14勝8敗)のタイトルと、3度の2桁勝利もマークしている。

 しかし選手にとって、実績は時にプレッシャーとして重くのしかかる。藤井は移籍の度にその重圧と戦い、新天地での最適解を求めて全力を尽くしてきた。

 2011年12月、巨人は横浜ベイスターズ(当時)からFA宣言した村田修一を獲得。横浜はその人的補償として、翌年の1月にプロテクトから外れていた藤井を獲得することを決めた。

「例年ハワイで自主トレをしているんですが、その最中に連絡が来ました。日本時間で22時、現地時間の夜中3時に電話が鳴ったんです。海外だと番号が表示されず、相手が誰かもわからず出てみたら、巨人の方でした。それで『今から社長に替わります』と言われた時、自分が人的補償に選ばれたことがわかりました。

 実は村田選手がFAしてから、人的補償が誰になるか1カ月くらい決まっていなくて、そのまま自主トレに入った自分は状況を客観的に見ていたんです。だから自分だったことに驚きましたし、次の日に帰国しなければならなかったのでその手続きが大変でした(笑)。借りているグラウンドをキャンセルしたり、飛行機のチケットを確保したり......すべて自分でやらないといけなかったので」

 藤井は2008年にヤクルトから日本ハムにトレードで移籍した経験があった。それゆえ、突然の移籍にも多少の免疫はあったが、本音は「巨人を離れる寂しさが強かった」と語る。