2021.01.07

「人的補償の呼び方はどうなのか」。鶴岡一成が語る経験者の気持ち

  • 森大樹●取材・文 text by Mori Daiki
  • photo by Kyodo News

人的補償の男たち(3)
鶴岡一成(DeNA→阪神) 

「球団から言われるまでは自分じゃないと思っていました」

 2013年シーズン、横浜DeNAベイスターズのキャッチャーだった鶴岡一成は、36歳ながらキャリア最多となる108試合に出場した。しかし同年オフ、FA権を行使してDeNAに移籍した久保康友の人的補償のプロテクトから漏れ、阪神に移籍することになる。

2014年1月、人的補償で阪神に移籍した鶴岡 経験がモノを言うキャッチャーにおいて、36歳という年齢は必ずしもマイナスではないだろう。それだけに、結果を残したシーズン直後の移籍は本人にとっても予想外の出来事だった。

 その後、鶴岡は2016年限りで現役を引退し、現在はDeNAの二軍バッテリーコーチを務めている。ハマのユニフォームに袖を通すのは、現役時代を含めると3度目(選手時代は1996年~2008年、2012年~2013年に在籍)。その間にトレード、自らもFA権を行使した経験もある鶴岡は、人的補償について何を思い、選手キャリアにおける移籍をどう捉えているのか。

 阪神への移籍の一報は突然だった。

「まず関西のほうで報道があって、それを見た友人から連絡が来て、初めて自分が人的補償に選ばれたと知りました。それでも球団から言われるまでは自分じゃないと思っていましたね。当時の阪神にはキャッチャーがいっぱいいましたし。

 でも、正式にそれを聞いてからは『選ばれたんだな』と気持ちが落ち着きました。それまでも移籍は経験していましたし、すでに決まったことに対して動揺することはなかったです」

 当時の阪神は主に藤井彰人がマスクを被り、控えには2012年のオフにオリックスからFAで加入した日高剛と、そのほか中堅の選手が数名いた。加えて、同年のドラフトでは現在の正捕手・梅野隆太郎を指名しており、キャッチャーは飽和状態にあると見られていただけに、鶴岡の補償指名はDeNAにとっても、本人にとっても"寝耳に水"だった。