伝説の日本シリーズ、強かったのはどちらか。西武ナインそれぞれの答え (2ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

【西武ナインには、それぞれの「野村評」があった】

 本連載第2回「反発」では石毛宏典、秋山幸二の言葉を紹介した。彼らはともに「データ重視」を意味する"ID(Import Data)野球"に対して、「そんなものは西武ではとっくにやっていた」と自信満々に語った。

 第3回「敬意」では、日本シリーズ4連覇を果たしたばかりのソフトバンク・工藤公康監督が「自分が監督になってみて、あらためて野村監督の偉大さが理解できるようになった」と言い、中日の伊東勤ヘッドコーチは「選手どうこうというよりも、やっぱり"野村さん"という存在が気になっていた」と語った。

 第4回「薫陶」では、のちにヤクルトに移籍し「森野球」と「野村野球」の両方を知り、共に優勝監督となった辻発彦(「辻」は本来1点しんにょう)、渡辺久信が「野村監督に学んだことが後に役に立った」と振り返った。

 第5回「愛憎」では、現役時代はチームメイトとして、1992年、1993年は敵として、そのあとに阪神で1度は味方となり、再び敵として野村と対峙した伊原春樹の次のような言葉を紹介した。

「確かにあの頃はID野球が話題になっていたけど、ひも解いてみるとどうってことないんですよ。そんなことはどの球団でもスコアラーを中心にやっていること。それを野村監督自らあの口調でしゃべるから話題になっただけで、どこの球団も大差ないと思いますよ」

 そして第6回「盟友」では、互いの野球観に敬意を抱いていた森祇晶による「野村評」を紹介した。森の言葉の端々には、野村に対する「尊敬の念と親愛の情」があった。「勝負の鬼」と称された森が、心から心理戦、頭脳戦を楽しめることができた盟友、それが野村だった。

 あらためて取材過程を振り返ってみると、さまざまな形で西武ナインは「野村克也」を意識し、それぞれの「野村評」を持っていた。グラウンドで戦うのは、あくまでも選手である。しかし、野村克也の場合は監督として、類まれな存在感を誇っていたことを再認識することになった。

2 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る