2020.11.12

八重樫幸雄「あの時のアイツだ!」。
プロ入りした西本聖を見て驚いた

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

「オープン球話」連載第40回

【松山商業時代の西本聖に会ったことがある】

――前回に続いて、「江川卓&西本聖」編を伺います。前回のラストに「西本のことは入団前から知っていた」とお話ししていました。それは、どういう経緯なんですか?

八重樫 西本は松山商業高校の出身でしょ。当時の松山商業の監督は、もう亡くなられたけど、一色俊作監督だったんですよ。僕は一色監督と面識があったんです。

1974年に松山商業からドラフト外で巨人に入団した西本――"鬼の一色"と称され、野球王国・愛媛を代表する名将として知られている監督ですね。どうして、宮城県・仙台市出身の八重樫さんと面識があったんですか?

八重樫 プロ入りする前年の1969(昭和44)年、僕は(高校の)全日本代表に選ばれて、三沢高校の太田幸司たちと一緒にブラジル遠征をしたという話は以前にしましたよね。この年の夏の甲子園で優勝したのが一色監督率いる松山商業で、そのまま高校選抜の代表監督も一色さんだったんですよ。その縁で、監督と面識ができたんだよね。

――なるほど。それで、どうしてプロ入り前の西本さんのことを知るようになったんですか?

八重樫 あれは僕がプロ3年目のことだったから、おそらく1972年のことだったと思うんだけど、三原脩さんがヤクルトの監督になった頃、熊本、四国、岡山と遠征試合が続いたんです。それで松山で試合があった時、一色監督から連絡が来たんですよ。僕はその松山の試合で足を肉離れしちゃうんだけど......。

――試合後に会う約束をしていたんですか?

八重樫 いや、電話がかかってきたんです。「八重樫くん、久しぶり。ところで明日は時間ある?」って。チームは松山のあとに岡山で試合だったから、本来なら時間はなかったんです。僕はケガをしてしまい、みんなよりひと足早く東京に戻ることになったんですよ。

――なるほど。それで、どうなったんですか?

八重樫 マネージャーが東京に戻る飛行機のチケットを手配していたんで、一色監督には「すみません。明日は東京に戻らなくちゃいけないんです」と伝えました。でも、「東京に戻るだけなら、チケットはこちらで買い替えるから、ぜひ見てほしい選手がいるんだ」と、ものすごく熱心で......。