父と恩師の証言。楽天・浅村栄斗は兄の努力を見て野球の厳しさを知った (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Kyodo News

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 そんななか、浅村はサッカーやバスケットボールなど、野球以外の球技スポーツにも興味を示したが、チームに入ってまでやることは好まなかった。週末になると父とふたりの兄とともに少年野球チームの練習グラウンドについていったが、熱中するまでには時間がかかった。

 以前、ご両親に話をうかがった際、これらの理由について明美さんはこう語っていた。

「お兄ちゃんたちの野球を見て、最初の頃は楽しいと思っていたはずなんです。でも、中学、高校になるにつれて、朝起きるのは早いし、土日も遊べない。本気でやるとなると『しんどい』と思ったんでしょうね。自分から『(チームに入って)野球をやりたい』と言ってきたことはなかったです」

 長男は本格的な野球は中学で引退したが、展弘さんは中学で硬式のクラブチームに入り、大阪桐蔭へと進んだ。この時、浅村は小学4年。野球の楽しさを知る前に厳しさを目の当たりにしたことで、野球一色になる生活をためらったのだろう。

 そんな浅村が「本格的に野球をやる」と決断したのは小学6年の時だった。哲弘さんの記憶によると、夏に浅村を知る人物が中学の硬式チームの見学に誘った。この時点で気持ちは固まっていなかったが、その後も誘いを受け続けると、小学6年の冬、ついに大阪都島ボーイズ(小学部)への入団を決めた。

 そこから3カ月あまり、野球と硬式球に慣れるため練習に通い、中学に進むとそのまま大阪都島ボーイズの中学部に入団。スタートは遅かったが、ここから浅村の野球漬けの生活が始まった。

 野球の基本、実践的な動きを学んでいくと、徐々に片鱗を発揮。このタイミングで身長も大きく伸び、プレーヤーとしての印象も変わっていった。3番・セカンド(ときにショート)として活躍するようになると、進路を考えるなかで兄と同じ大阪桐蔭へとつながっていった。

 中学3年時、プレーする浅村を西谷監督が見たのは一度だけ。攻守揃った好選手という印象を持ったが、「是が非でも、大阪桐蔭へ」というわけではなかった。

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