八重樫幸雄も期待した「真っスラ」のドラ1。1軍1試合で終わった理由 (3ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

――のちに日本ハムやダイエーに移籍する、サウスポーの間柴茂有(しげくに)投手ですね。日本ハム時代の1981(昭和56)年には15勝0敗で最高勝率のタイトルも獲得しています。

八重樫 間柴の真っスラは本当に厄介だったよ。あれは手元で変化する。僕は意外と間柴は得意だったんだけど、みんな苦労していたよね。右バッターの内角に食い込んでくるんだけど、僕はなぜかタイミングが合っていた。ほかの右バッターはみんなどん詰まりになることが多かったね。1981年に日本ハムで15連勝できたのは、真っスラのおかげですよ、間違いなく。

【実力はあってもメンタル面に課題】

2009年から8年間、ヤクルトのスカウトを務めた八重樫氏 photo by Hasegawa Shoichi2009年から8年間、ヤクルトのスカウトを務めた八重樫氏 photo by Hasegawa Shoichi――じゃあ、ヤマハの竹下は間柴を彷彿させるピッチャーだったんですね。この時点で「プロで活躍できそうだ」という手応えは感じていたんですか?

八重樫 そうですね。担当だったわけじゃないからきちんと見ていたわけじゃないけど、「即戦力としていけるな」と思って見ていたし、「何年か経てば頼りになる存在になるだろう」とは思っていたよね、正直。ただ、実際にプロに入ってみて、「あれ、こんなにコントロールが悪かったかな?」って感じたことは覚えているな。

――結果的に、プロではコントロールに難があってフォアボールを連発して、1軍での登板はわずか1試合。3年でプロ生活に終止符を打ちました。技術的な問題、あるいは精神的な問題、どちらだったのでしょうか?

八重樫 たぶん、心だと思うんだよね。本人は詳しくは語らないけど、指導方針をめぐって意見の食い違いがあったのかな? 初球がボールになってしまうと、その後にボールを続けてしまう。それも、クサいところを突いた微妙なボールではなくて、完全なボールなんだよ。そんなことがずっと続いたんです。フォーム改造にも取り組んだようだけど、結果は出なかったね。

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