ヤクルトの球団方針を覆した岩村明憲。八重樫幸雄もひと目で「すごい」 (3ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

1997年から2年間、ヤクルトの二軍監督兼バッテリーコーチを務めた八重樫氏 photo by Hasegawa Shoichi1997年から2年間、ヤクルトの二軍監督兼バッテリーコーチを務めた八重樫氏 photo by Hasegawa Shoichi――どんな罰だったんですか?

八重樫 練習後に彼を呼んで、「岩村、明日から1週間ユニフォームを着るな」と伝えたんです。岩村は、初日は寮でじっとしていたらしいんだけど、2日目は戸田で巨人戦があって、試合前のバッティング練習の時に土手でボール拾いをしていたみたい。僕はそれを寮長から聞いたんだけど、確かに3日目も土手で球拾いをしていたよ。

――反省しているのが伝わってきますね。それで、許してあげたんですか?

八重樫 「かわいそうだな」とは思ったけど、約束は約束だから......。それで彼も反省をしたんじゃないのかな? で、無事に1週間経って、それ以降は「クソーッ」と感情を表に出すこともなくなったね。

――やっぱり、野球選手にとって「ユニフォームを着るな」というのは、ものすごくつらい罰だったんですね。岩村さんといえば、中西太さんに師事して打撃が開花したという話もよく聞きます。中西さんとの出会いはどんなものだったんですか?

八重樫 中西さんは今でもそうだけど、あの頃もよくグラウンドに来て指導してくれたんです。中西さんも岩村を見てすぐに、「おっ、アイツはいいな」となった。それで、「指導してもいいか?」と聞かれたんで、「ぜひお願いします」と言ったら、熱心に指導してくれましたよ。

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