ヤクルトの球団方針を覆した岩村明憲。八重樫幸雄もひと目で「すごい」 (2ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

――岩村さんのルーキーイヤーは、一軍での出場はなかったけれど、二軍では打率.316、10本塁打、38打点を記録しています。高卒ルーキーとしては合格点を与えられますね。

八重樫 バッティングに関しては何も心配していませんでした。当時、岩村を呼んで言ったのは、「今の二軍選手の中で、お前がもっとも一軍に近いところにいる。だから、みんながお前のために協力しているんだぞ」ということ。当時は大橋(穣)さんが二軍の内野守備コーチだったんだけど、つきっきりで守備を教えていましたからね。

――阪急時代には守備の名手としてならして、引退後も指導経験が豊富な大橋さんがつきっきりで指導するなら、すぐにうまくなったんじゃないですか?

八重樫 大橋さんの指導は厳しかった。岩村はうまくいかないと自分自身に腹が立つタイプで、すぐにカーッとくるんだけど、練習態度にも出ちゃう。負けず嫌いなのは悪いことじゃないんだけど。

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――自分で自分に腹が立つし、歯がゆいからということですか?

八重樫 うん。そうなんだけど、一度この件で岩村を叱ったことがあった。「自分に腹が立つのはわかるけど、ノックをしてくれているコーチに失礼だから、そういうのは影でやれ」って。でも、その後もそれは直らなかったから、彼に"罰"を与えたこともあったな。

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