2019.12.13

ドラ1・大石達也を苦しめた重圧。
「全然プロのレベルではなかった」

  • 中島大輔●取材・文 text by Nakajima Daisuke
  • TOBI●撮影 photo by TOBI

西武・大石達也インタビュー@後編

 2019年かぎりで9年間のプロ野球人生にピリオドを打った大石達也は、この秋、埼玉西武ライオンズの「ファーム育成グループスタッフ」として第二のキャリアを歩み始めた。

「チームがずっと強くあるためには、若い子がどんどん力をつけないといけないと思っています。来年から三軍ができて、ちょうど僕も引退して、そこに入ります。最初は失敗とかあるかもしれないけど、選手もスタッフも勉強しながら、将来的にはちゃんとした育成プログラムをしっかりできればいいと思います」

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大石達也に9年間のプロ生活を振り返ってもらった 第二のキャリアを歩み始めたばかりの大石に、最も聞きたい質問があった。

 2010年ドラフトで6球団が1位指名した大石達也という大卒ルーキーを、現在の立場であるファーム育成グループスタッフとして預かったとしたら、どういう目標を設定させますか?

 現実的にはありえない問いに、大石は「うーん」と、しばし頭を悩ませた。

「身体づくりをしっかりさせますね、まず。やっぱり肩をケガしたのは、身体ができていなかったのもあると思うので。まずは、本当に基礎体力をつけさせますね」

 勝負の世界で、「たら・れば」は禁句とされる。しかし、大石にかぎっては、「たら・れば」を思い浮かべたくなる。

「プロに入る前にイメージしていた自分と、かけ離れていました」

 戦力外通告を受けた日にそう明かしたように、大学時代のポテンシャルをプロで発揮することは一度もなかったからだ。もし、大石が故障に悩まされず、潜在能力を開花させていたら、プロでどれほどの活躍をしただろうか。

 そう思うのは、記者として激しい後悔があるからだ。まだ1年目の開幕を迎える前のルーキーに、「即戦力」「金の卵」「6球団競合の逸材」などと華々しい枕詞をつけ、周囲に過剰な期待をあおった。

 当時、大石はどう感じていたのだろうか。

「今はもう、そんなに気にしてないですけどね。大学時代はみんなの注目が斎藤(佑樹)に行っていて、僕らはその後ろでちょろっとだったので、ホントに気楽にやっていました。ドラフト後から急に僕にもバーッて(報道陣が)来だしたので、戸惑いはありましたね。『斎藤ってずっとこんな感じでやっていたんだ』って。やっぱり1年目のキャンプは、周りの目をずっと気にしながらやっていました」