高津臣吾が徹底した秋山、清原対策。
極意は「低く遠く、近く強く」だ

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

西武×ヤクルト "伝説"となった日本シリーズの記憶(32)
【クローザー】ヤクルト・高津臣吾 後編

デストラーデの不在が大きかった1993年シリーズ

――1993年日本シリーズも、前年に続いてライオンズとの激突となりました。この年のライオンズについて、どのような印象を持っていましたか?

高津 前年と比べて、ものすごく大きかったのは(オレステス・)デストラーデがいなかったことです。代わりに鈴木健が入ったりしましたけど、先発オーダーに外国人選手がいなかった。僕は1992年のシリーズに出場していないので、デストラーデと対戦はしていないけど、彼の存在は脅威でしたからね。

1993年の日本シリーズで3セーブを挙げた高津 photo by Kyodo News1993年の日本シリーズで3セーブを挙げた高津 photo by Kyodo News

――西武の黄金期を支えたAKD(秋山幸二・清原和博・デストラーデ)のうち、「D」が抜けたのは、心理的にも有利に働いたのですね。戦前のミーティングで話し合われた、具体的な「秋山対策」「清原対策」などは記憶にありますか?

高津 そうですね。もちろん、秋山さん、清原さん、鈴木健も長打警戒のマークが必要でしたけど、デストラーデがいなかったことは心理的にも大きかったと思います。秋山さん対策は、「いかに低く、低く投げられるか」がポイントでした。結果的に僕は秋山さんを抑えたけど、ワンバウンドになるような低めのシンカーを多投して、空振りを奪っていました。清原さんに対しては、「外角の緩い球、半速球はダメだ」というのを徹底しました。投げるならインコースに強い球で、できれば高めがいい。一度、どこかで外の変化球を見せておいて、インコースで勝負する。そんなイメージでした。

――キャッチャーの古田敦也さんとはどのようなことを話し合っていたのですか?

高津 僕は球種が少なく、ほぼ真っ直ぐとシンカーだけだったので、大切なのは「真っ直ぐを四隅のどこに投げるのか」ということと、「シンカーを打者の近くに投げるのか、外に投げるのか」ということ。気をつけるのはそれぐらいでした。古田さんは「高津はこれを投げたいんだな」とか、「今日はこのボールが調子がいいな」と、いつも考えていたと思いますけど、僕自身も古田さんの考えていることはだいたい理解できていたと思います。

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