近鉄で開花。ブライアントは日本で本塁打アーチストになった (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Kyodo News

 僕は高校の時に奨学金をもらえたことも、大学時代にドラフト1巡目でドジャースから指名されたことも、ドラゴンズから声が掛かったことも、バファローズに移ったことも、すべてラッキーだったと思っている。

 思っているけど、同時に、それだけの努力をしてきたとも思っているんだ。1試合にホームランを3本も打つなんてこと、アメリカでは一度も経験したことがなかった。でも、僕は日本でそれを何度も経験している(1988年、シーズン2度の1試合3本塁打達成は川上哲治、江藤慎一、レオン・リー、落合博満に続く史上5人目のプロ野球タイ記録。ちなみに1989年も1試合3本塁打を3度記録、このインタビューのあと、球史に残る西武ライオンズ戦でのシーズン4度目の1試合3本塁打を放ち、ブライアントはバファローズに逆転優勝をもたらした)。

 自分でもビックリしたし、心の底から自分を信じてやってきたからだと思う。自分はいいプレーができると信じて、結果、今までに誰もやったことのない記録をつくるというのは、それは爽快なものだよ。

 日本に来て、なぜこんなにホームランを打てるようになったのかって、よく訊かれるんだけど、じつはその理由は僕にもよくわからない。「努力した結果、僕が成長したから」と答えるしかないんだ。

 ひとつだけ、間違いないのは、僕がホームランを打てるようになったのは日本に来てから、ということ。で、日本に来てからできるようになったことは、神経を集中させて試合に臨むということなんだ。

 僕はグラウンドを離れる時、野球はすべて置いていく。そしてグラウンドに戻ってきたら、ボールだけに集中する。要は、ボールがバットの当たるべき場所にきちんと当たっているから、ホームランになるんだろ。僕が意識しているのは、ピッチャーの投げたボールを確実にミートすること。それだけなのさ。

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