2019.05.11

日本の野球は疑問だらけ。
ワニ男パリッシュは人形に怒りをぶつけた

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Kyodo News

平成元年に助っ人たちが語っていた日本野球~ラリー・パリッシュ

 平成が始まった1989年、つまり今から30年前の平成元年のプロ野球。

 この年、両リーグの打撃タイトルは、ほぼ外国人選手が独占していた。セ・リーグの打点王のみ、中日の落合博満が獲得していたのだが、ホームラン王はセがヤクルトのラリー・パリッシュ、パが近鉄のラルフ・ブライアントが獲得。パの打点王はオリックスのブーマー・ウエルズで、ブーマーは首位打者にも輝いている。セの首位打者は巨人のウォーレン・クロマティで、最多安打のタイトルはそのクロマティとブーマーが獲得。さらに両リーグのMVPも、セがクロマティ、パがブライアントと、ともに外国人選手が選ばれていた。

 じつは平成元年の夏、こののちにこのシーズンの両リーグでのタイトルホルダーとなるクロマティ、パリッシュ、ブライアント、ブーマーの4人に、それぞれインタビューを敢行していた。まだ結末の見えていなかったシーズン中の話ではあるが、その当時の彼らの言葉をあらためてここに綴ってみたい。平成元年を沸かせた外国人選手たちの言葉は、令和元年の今、果たしてどんなふうに響くのだろう――。

 メジャーリーグで15年、通算256本のホームランを放ったパリッシュは、1989年、ヤクルトスワローズでプレーした。入団会見のとき、好きな食べものを訊かれて「ワニの肉だ」と答えてしまったことから”ワニ男”としてその名を轟かせることになったパリッシュ。太い腕、でっかい身体に加えて、ホームランか三振かという豪快なバッティング、デッドボールに激怒してバットを振り回す乱闘騒ぎ、怒りをぶつけるためにベンチ裏に置かれていたという”ラリー君人形”の存在などが重なって、すっかり暴れん坊のイメージを定着させてしまった。しかし、その素顔は心優しきヤンキーそのもの。ユニフォームを脱いだパリッシュは、グラウンドで暴れるイメージとはあまりにもかけ離れていた。

死球を受けて激高するパリッシュ。気性が激しいことでも有名だった 球場への行き帰りは自転車が最高だね。テキサスにいた時も自転車で通っていたよ。何よりも東京では渋滞がひどいだろう。自転車なら渋滞に巻き込まれることがない。もちろん、ジロジロ見られることもあるけど、自転車通勤はヒザの強化にもなるからね。