転職サイト登録→まさかのドラフト7位。26歳で始まる奇跡のプロ人生

  • 加来慶祐●文 text by Kaku Keisuke
  • photo by Kyodo News

 奥村政稔(まさと)はこれまでの野球人生において、プレー続行の危機が幾度となくあった。

 まず中津商(大分)で過ごした高校時代。中津工との合併により、中津商最後の在校生となった。最速147キロを誇る県内屈指の好投手でありながら部員が集まらず、最後の夏を戦った時はわずか10人。0-10と初戦コールド負けで高校野球を終えた。

オープン戦でも結果を残すなど、開幕一軍に向けてアピールを続ける奥村政稔オープン戦でも結果を残すなど、開幕一軍に向けてアピールを続ける奥村政稔 そして大学時代。九州国際大では入学と同時にベンチ入りを果たした。1年春のリーグ戦前に組まれたソフトバンク三軍との試合に先発し、5回を完全に抑えるパーフェクトデビュー。2年秋には九州六大学リーグ優勝に貢献。しかし、そのシーズンを最後に突如、大学を中退してしまう。

 その後、社会人野球の三菱重工長崎が路頭に迷っていた奥村を救った。そしてJR九州、西部ガス、Honda熊本といった全国的な強豪チームが集まる九州地区の社会人野球で、奥村の才能に磨きがかかった。

 球速はたびたび150キロを超え、2015年からは2年連続で都市対抗(補強選手を含む)に出場し、日本選手権にも出場を果たすなど、全国の舞台を経験。

 とくに2016年の充実ぶりは目を見張るものがあり、日本選手権予選の決勝では1安打完封の快投を演じ、九州ナンバーワン投手の称号を得た。

 球速も最速154キロまで伸び、ドラフト指名も現実味を増し、奥村自身も「ドラフト当日が妻の誕生日なので、これでプロ入りできたら100点満点の1年になる」と語るなど、自信に満ちていた。

 ところが、この年のドラフトで奥村の名前が呼ばれることはなかった。しかも、シーズンオフにチームは休部と、三菱日立パワーシステムズ(横浜市)との統合を発表した。

 奥村は妻と話し合った結果、単身で横浜に行くことを決意。移籍1年目に都市対抗4強入りに貢献したが、2017秋のドラフトではまたしても指名漏れ。

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