「引退試合でスタメンだったら...」後藤武敏が語る松坂大輔との舞台裏 (3ページ目)

  • 田尻耕太郎●文 text by Tajiri Kotaro
  • photo by Kyodo News

―― 高校の頃から変わらないというのもすごいですね。

「だから、横浜高校の時だって誰からも嫉妬なんて聞いたこともなかった。もし、松坂が『自分はスター』という性格ならばみんなバラバラになっていたと思います。だけど、ああいう人間だから、みんな1つの方向を向いていました。最後の夏の甲子園も決勝戦でノーヒット・ノーランなんて、とんでもないことをやってのけましたが、僕らは宿舎に帰ってからみんなで『やっぱアイツはそういう星のもとにいるんだね』って話し合ったのを覚えています。野球の神様でさえ微笑ませちゃうくらい、いいヤツなんですよ」

 今年9月22日の引退試合。対戦相手は松坂のいる中日ドラゴンズだった。「松坂と対戦したい」――それは以前から後藤が公言していた夢だった。しかし、松坂は9月13日の阪神戦(甲子園)に先発して勝利投手となり、翌日に登録抹消となっていた。

―― 引退試合は、松坂投手のいる中日ドラゴンズ戦でしたが、対戦は叶いませんでした。心残りはありますか?

「それもまったくないですね。僕が球団に引退の報告をした日、松坂にも電話を入れたんです。『引退するよ』って言ったら、『そっか......』と言ったきりずっと沈黙。あとで聞いたら、言葉が出てこなかったそうです。

 その数日後、松坂は甲子園で登板でした。スポーツニュースで見ましたが、表情がいつもと違うんですよね。そしてヒーローインタビューで『彼ら(引退する同世代)の分の気持ちも込めて、僕はもう少し頑張るよ、という決意表明の日に』と言った時の口調も全然違ったんです。僕にはそれがわかって......ひとり家で泣きました。それで十分だな、と。

 じつはその翌日、松坂から連絡があったんです。『引退試合はスタメン? それとも代打?』と。これもあとで聞いた話ですが、もし僕がスタメンなら先発で投げるつもりだったと。でも、代打なら出場は試合終盤になるし、あの時はまだ順位争いもしていたし、若手のチャンスを摘むことになる。自分のわがままは通せないと......それで登録抹消を選んだらしいです」

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