2018.12.13

DeNA大和として初甲子園。景色や声援の違いに不安と期待が交差した

  • 寺崎江月●取材・文 text by Terasaki Egetsu
  • photo by Kyodo News

 昨年オフに阪神からFA宣言し、DeNAに移籍した大和(本名:前田大和)。チームを2017年シーズンのリーグ3位、日本シリーズ進出へと導いたアレックス・ラミレス監督から「チームに足りない最後のピース」と期待されての入団だったが、前半戦は打撃の調子が上がらず、得意とする守備でもエラーを重ねるなど苦しんだ。

 しかし、7月にケガの影響で登録を抹消され、約1カ月にわたる2軍での調整を経て1軍に復帰すると事態は好転した。8月は打率.395をマークし、2割ちょっとだった打率は最終的に.244まで上昇。守備でも本来の華麗さを取り戻した。

 挑戦の移籍1年目を終えた大和に、新天地DeNAで戦ったシーズン、古巣・阪神への想いなどを聞いた。

昨年、阪神からDeNAにFA移籍した大和――大和選手は2005年の高校生ドラフト4巡目で阪神から指名を受け、プロ野球人生を歩み出しました。まずはそのルーツを教えていただけますか?

「生まれ育った鹿屋市(鹿児島県)周辺は野球よりもソフトボールが盛んな地域で、隣の大崎町では福留(孝介・阪神)さんも小学生の時にプレーされていました。僕は、兄が地元のチームでソフトボールをやっていたので、気がついたら小学1年から始めていたという感じです。

 しばらくはボールをわしづかみしていましたが、5年生ぐらいから人差し指と中指で投げられるようになりました。ソフトボールは塁間が短いので、打球を取ってからすぐに投げなきゃいけない。それが今の送球の基本になりました。いずれは甲子園でプレーしたいと思っていたので、早く硬球に慣れるために小学校卒業後はボーイズリーグに入りました」

――当時、憧れの選手はいましたか?

「西武時代の松井稼頭央(西武二軍監督)さんですね。特に守備が好きで、僕も練習ではバッティングよりも守備の時間が長かったです」

――樟南高校時代は1年生からショートのレギュラーとなり、3年生の時には夏の甲子園でベスト8進出に貢献。その活躍からすると、もう少し早い巡目で指名されてもおかしくはなかったと思いますが。

「そもそも、プロに行けるとは思っていなかったので、指名された時はとてもうれしかったです。阪神に入ってからは、選手やスタッフの多さに圧倒されました。『こんなに大きな組織の中で、どうやったら試合に出られるのか』と不安にもなりましたね。ですが、幸いにもルーキーイヤーから2軍で多くの試合に出してもらえたので、徐々に悩みは解消されていきました」