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「代打の切り札」矢野謙次。
巨人→日本ハムに移籍後2年は悩んでいた (4ページ目)

  • 寺崎江月●取材・文 text by Terasaki Egetsu
  • photo by Kyodo News

──日本ハムで迎えた現役生活最後のシーズンは、2軍で調整する期間が長くなりました。そこでご覧になったルーキー・清宮幸太郎選手の打撃はいかがでしたか?

「今年のキャンプで初めてみたときに、肘や腕の使い方が柔らかく、軸足に体重が残ったスイングができることに感心しました。『子供の頃からホームランをたくさん打っているから、体がわかっているんだなぁ』と思いましたね。巨人の岡本和真もルーキー時代から見ていますけど、1年目の時点で比べると、圧倒的に清宮の方が上です。

 でも、そこからの"伸び"はわからない。岡本が4年目で巨人の四番として活躍するまでに、たくさんの悔しい思いや苦労を乗り越えてきたことが手に取るようにわかります。清宮も、これから自分自身に厳しく練習をして、球界を代表する打者になれるよう頑張ってほしいです」

――10月14日のCSファーストステージ第2戦では、同じく巨人から移籍した大田泰示選手が矢野さんのユニフォームを着てヒーローインタビューに登場しましたね。その中では「矢野さんからアドバイスをもらった」とも言っていましたが。

「ユニフォームを着てきたのはびっくりしましたよ。僕はプレゼントしていないので、札幌ドームにあったものを勝手に持っていったんでしょうね(笑)。アドバイスに関しては細かくは言えませんが......相手の投手はホームランを打たれないようにするために外角のボールが多くなる。それを泰示もわかっているだろうけど、意識しすぎて外のボール球まで追いかけまわさないように、と伝えました」

──その4日前には矢野さんの引退セレモニーが行なわれました。今季は矢野さんだけでなく、多くの"松坂世代"の選手がユニフォームを脱ぎましたね。

「みんな38歳ですから、引退を覚悟しながらプレーをしていたと思いまよ。そんな中でも、独立リーグ(栃木ゴールデンブレーブス)で引退を迎えた村田(修一・元巨人)にはいろんな思いがあったでしょうね。実は、4月に練習が終わった後に、實松(一成・日本ハム)と陣中見舞いに行ったんです。練習場は廃校になった小学校の校庭でしたけど、彼のユニフォーム姿を見て、家族に活躍する姿を見せるために頑張るんだという気持ちがひしひしと伝わってきました。

 そんな村田を含め、松坂大輔や杉内俊哉たちと違って、僕は甲子園に出場した経験がない。日本代表のチームに選ばれたこともありませんし、大学の野球部は東都リーグの2部で立場はまったく違う。でも、そんな"松坂世代"の素晴らしい選手たちに刺激をもらえたおかげで、ここまで頑張ることができました」

──最後に、プロ野球選手人生を言葉で表すとしたら。

「『本気』ですかね。今後も野球に携わっていきたいですが、仮に指導者になってもその気持ちを忘れず、選手ファーストの環境を作っていきたいと思います」

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