荒木大輔は清原和博に被弾。試合後、野村監督の小言にカチンときた (4ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

プロの世界では「酷使」も、やむを得ないこと

――1992年のシリーズでは、ライオンズの3勝2敗で迎えた第6戦の先発も任されました。このときは中6日での登板でしたね。

荒木 王手をかけられているというプレッシャーは感じなかったけど、この日の調子はあまりよくなかったですね。身体が重いというのか、モワーッとしたような感じで。だから、「投げミスをしないように」という意識でマウンドに上がったけど、結局、石毛(宏典)さんにホームランを打たれてしまった。

――4回表、五番・デストラーデ選手にヒットを打たれた後、石毛選手にライトに運ばれ、この回で降板となりました。

荒木 デストラーデのヒットはカーブの曲がりが小さくて、そこを打たれました。そして、石毛さんにはシュートを投げたのがスライダー回転して甘めにフワッと入ってきたところを見事に追っつけて打たれたっていうのが、すごく記憶にありますね。シリーズ中に気を抜いて投げるピッチャーなんていないんで、やっぱり疲れのせいなのか、本来の調子ではなかったのは間違いないです。

――この試合は秦真司選手のサヨナラホームランが飛び出して、延長戦でスワローズが勝利。3勝3敗のタイにしますが、翌日の第7戦で敗れて3勝4敗で涙をのみました。この年のシリーズを振り返ると、どんな印象がありますか?

荒木 下馬評では「西武有利」と言われていましたよね。でも、3勝4敗と接戦だったことで、「オレたちもやれるんだ」という自信が芽生えたのは確かです。それが1993年のセ・リーグ制覇につながったんだと思います。選手がみんな20代半ばで若かったですよね。当時、28、29歳ぐらいだった僕が年齢的には上の方でしたからね。

――この年のシリーズでは岡林洋一投手が、第1戦、第4戦、そして第7戦に先発。いずれも完投して、3試合で30イニングを投げています。岡林さんについては、どのように見ていましたか?

荒木 大エースですよ。アイツは絶対に弱音を吐かないし、本当にチームのことを考えられる男でした。野村さんの考える「エース像」、そのままの投手が岡林でした。責任感が強いからこそ、あそこまで投げ続けて結局は肩を壊してしまった。でも、ああいうピッチングをしたから、岡林は今でも評価されているわけですよね。もしも、このシリーズで2試合だけ投げていたら、ここまで評価が上がることもなかったはずです。

――翌1993年のルーキー・伊藤智仁投手のケースも含めて、しばしば「野村監督の酷使」が話題になりますよね。

荒木 僕らはアマチュアじゃないので、プロの場合は仕方ないことだと僕は思っています。仕事ですから。「連投したから、今日は休み」っていうのは、日本シリーズではあり得ないんでね。

(後編に続く)

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