ベンチの指示で内角へズバズバ。荒木大輔は日本シリーズ初戦で攻めた
【同級生】ヤクルト・荒木大輔 後編
93年シーズンは、心身ともに絶好調だった
――1992年に14年ぶりのセ・リーグを制覇したものの、日本シリーズでは西武ライオンズに3勝4敗で敗れました。しかし、翌1993年もスワローズはリーグ優勝を成し遂げました。1993年の荒木さんは8勝4敗でしたが、この年の調子はいかがでしたか?
荒木 体調はよかったですね。野村(克也)監督からも配慮をされていましたから。ほとんど「中6日」で投げていたんですけど、監督から「中5日、中4日で投げられないのか?」って何度も聞かれました。でも、僕はシーズンを通して投げたかったので、「無理です」ってハッキリ言っていましたね(笑)。
1992年の日本シリーズ初戦に先発した荒木 photo by Kyodo News――この年は、「シーズン全体」を見据えてペナントレースに臨んでいたんですね。
荒木 そうです。前年に西武といい勝負ができたことで、「次は勝てる」という自信が生まれていました。当時は、川崎(憲次郎)、西村(龍次)、トモ(伊藤智仁)がすごかったので、「こいつらについていけば絶対に優勝できる」と思っていたし、僕はローテーションの谷間をしっかりカバーすればいいと思っていました。「谷間は任せろ」という感じでしたね。
――ローテーションの谷間を中心に登板して、シーズンで8勝を挙げたというのは、チームにとっても大きいことですね。
荒木 後にコーチを経験して感じたことですけど、そういうピッチャーがいないとシーズンを勝ち上がることは難しいんです。ローテーションの谷間だとか、負けている試合で試合を壊さずに最後まで持っていくピッチャーは、優勝するチームには欠かせない存在。この年の僕は決してエースではないけど、谷間を埋める役割はきちんとできていたと思います。
――1993年のスワローズ投手陣の成績を見ると、伊東昭光投手が13勝、西村投手が10勝、川崎投手が9勝しています。この他に荒木さんが8勝、リリーフの山田勉投手が10勝、高津臣吾投手が6勝をマークし、故障離脱したものの伊藤智仁投手が前半戦だけで7勝。満遍なく勝ちを拾って、シーズン80勝を記録しています。
荒木 そうですね、山田がリリーフで10勝していますからね。正直に言うと、アイツは僕の勝ち星もかなり消しているんです(笑)。そのたびにメシに連れて行って、「いいから食え。終わったことはしょうがないんだ」って言っていました。でも、リリーフピッチャーが10勝もするというのは、それだけ粘り強い攻撃をする強さがあったということですよ。
1 / 4