元マイナー最多勝、村田透に聞く
「日本のバッターを打ち取る方法」

  • 阿佐智●文 text by Asa Satoshi
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

 5月初旬、ほっともっとフィールド神戸で北海道日本ハムファイターズ村田透に会った。直接、彼と顔を合わせたのは5年ぶりだろうか。前回のときはアメリカ・オハイオ州にあるアクロンという町で、村田はクリーブランド・インディアンスの2Aでプレーしていた。

昨シーズン、7年ぶりに日本球界に復帰した日本ハム・村田透昨シーズン、7年ぶりに日本球界に復帰した日本ハム・村田透 その後、マイナーで順調に経験を積み、2014年に3Aで初勝利。2015年にはマイナー最高峰のリーグで15勝を挙げ、最多勝のタイトルを手にした。そしてこのシーズン途中に1試合のみだったが、メジャーの先発マウンドにも立った。それまで日本プロ野球の一軍マウンドに立ったことのなかった男が、一瞬ではあったがアメリカン・ドリームを叶えた瞬間だった。

 そしてインディアンスとの契約を終えると、昨年、北海道日本ハムファイターズと契約を結び、日本球界に復帰した。

 5年前とは違い、32歳の村田の表情にはベテランの風格さえ漂っていた。

 メジャーでは勝利を挙げることはできなかったが、3Aでは十分な実績を残している。日本復帰に際し、球団の期待もそれなりにあったはずだ。しかし、昨年は15試合に登板(先発は8度)して1勝2敗。かつてドラフト1位で入団した古巣・巨人相手に"涙の初勝利"はあったものの、本来の実力からすれば、今ひとつ物足りない成績だった。

 ただ、村田は6年もの間"日本の野球"から遠ざかっていた。来日する外国人選手たちが"日本野球への適応"に四苦八苦する姿は、春の風物詩といっていい。

 たとえば、日本選手がメジャーに挑戦する際や、国際大会で戦うときに話題に上がるのが使用球だ。日本のボールに比べて滑りやすく、あの大谷翔平(エンゼルス)でさえ、今年のキャンプ、オープン戦でボールを操るのに四苦八苦していた。

 逆に、アメリカの使用球に慣れた村田にとって、日本のボールは使いづらいということはないのだろうか。村田に聞くと、こんな答えが返ってきた。

「ボールに関しては、特になにもなかったです。『少し軽いかな......』というのもあって、戻ってきた当初はむしろ投げやすかったです。日本のボールは本当に投げやすい。指にもしっかりかかりますし。苦労したのはむしろ柔らかいマウンドの方です。でも、それも慣れないことにはどうしようもないですからね」

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