2018.05.11

【イップスの深層】
「難しいプレーは簡単なんです」
と土橋は言った

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Kyodo News

連載第14回 イップスの深層~恐怖のイップスに抗い続けた男たち
証言者・土橋勝征(2)

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野村克也氏が監督に就任すると徐々に出場機会を増やしていった土橋勝征

 俊足のバッターがプッシュバントを試みる。打球は投手と一塁手の守備範囲を抜け、二塁手の手前まで転がる。誰もが内野安打だと思った刹那(せつな)、足音も立てずに二塁手の土橋勝征(かつゆき)が近づき、打球を拾って一塁にスナップスロー。間一髪、打者走者をアウトにする。

 多くの野球ファンは「さすが土橋だ」とうなり声をあげる。難しいプレーをいとも簡単そうにやってのける。それが土橋勝征というプレーヤーだった。

 しかし、すでに現役を退いて10年以上の時間を経て、土橋はこんな実情を告白する。

「難しいプレーの方が、むしろ簡単なんですよ。考える時間がなくて、流れですぐに投げなきゃいけないから。それにとっさのプレーだと、僕の手首の強さが生きますからね。僕の場合は、イージープレーの方がむしろミスが出るタイプなんですよ」

 若手時代は送球エラーの多さから「土橋は送球が悪い」とレッテルを貼られていた。しかし外野手コンバートを経て、土橋は今まで自分が下半身を使わずに手首の力に頼ったスローイングをしていたことに気づかされる。そんな自分の欠陥に気がついた土橋は、外野の守備固めとして飛躍的に出場機会を増やしていく。

 野村克也監督が就任した1990年は19試合、翌91年は39試合。14年ぶりのリーグ優勝を飾った92年は59試合、リーグ連覇、そして日本一に輝いた93年は98試合と順調にキャリアを重ねていった。

 ふたたび転機が訪れたのは94年だった。前年にセカンドのレギュラーとして打率3割をマークしたレックス・ハドラーが退団。桜井伸一、笘篠賢治、柳田聖人(しかと)といった選手が起用されたが、いずれも決め手に欠けた。そこで、土橋に内野再コンバートの話が舞い降りたのだった。

 入団当初はさんざん悩まされた内野守備だが、すでに自分のメカニズムの欠点には気づいていた。「下半身から体を使ってバランスよく投げれば大丈夫」。そう思えるだけの自信を得ていた。

 土橋は「外野を経験していなかったら無理だったと思います」と振り返る。外野手として出場機会を増やしていったことが、いつしか心の余裕をもたらしていた。