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追悼・上田利治──。現役わずか3年も、
情熱で歩んだ「名将ロード」 (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Kyodo News

 情熱と愛情──西本らしい話だと思ったが、選手に対する姿勢は上田にもしっかり重なるものだと思った。

 長いNPBの歴史のなかでも日本シリーズ3連覇は、巨人、西鉄、西武、そして阪急しか成し遂げていない。

 シーズンでは歴代7位の1323勝を重ねるなど、たしかに「勝つ監督」の印象は強い。ただ、指揮官としての上田の本質は、選手とともに泥だらけとなり、忙しく身ぶり手ぶりを交えながら声を飛ばす。

 後年、福本豊や加藤秀司に話を聞いたときも、指揮官としての上田よりも、打撃練習、走塁練習に根気よくつき合ってくれたコーチ時代の思い出を挙げた。伸びゆく才能が何より好きな人。そんな印象が強くある。

 叔父は徳島県弁護士会の副会長。上田自身も関西大学法学部出身で弁護士を目指していた時期があったが、広島からの強い誘いに応じプロ入りを決意する。プロ1年目の日南キャンプに六法全書を持ち込むなど、勤勉なプロ野球選手として注目を集めた。

 しかしプロ入り後の成績は振るわず、現役生活はわずか3年のみ。それでも明晰な頭脳、野球への情熱が当時、球団社長だった松田常次の目に留まり、史上最年少となる24歳で専属コーチとなった。そこから8年、広島のコーチとしてチームを支え、最後の2年は根本陸夫監督のもとで知恵袋として力を発揮した。

 退団後は評論家となり、メジャーリーグを視察するなど精力的に動いた。1970年の秋、ワールドシリーズ観戦でアメリカ滞在中、日本から1本の電話を受けた。

「来年、近鉄へ行くことになるから用意しといてくれ」

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