不世出のアンダースロー左腕・永射保が語っていた「左殺し」の誇り (4ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Jiji photo

 永射氏が西武から大洋を経てダイエー(現・ソフトバンク)に移籍した1989年のことだ。オリックス戦で、打者は門田博光。すると、門田が自ら上田利治監督に「交代させてほしい」と申し入れ、右の若手が代打に送られた。

「これで門田さんは一生、僕のボールは打てないと思った」

 永射氏の全盛期。対戦を見ていて、「打者はもっとベースに近づけばいいのに」と思っていた。外角のボールに対し、明らかにバットが届いていなかったからだ。しかし、そんなレベルの話では、もちろんなかった。

「インコースをたまに見せながら、問題はバッターの立つ位置より、いかに腰を引かせられるかどうか。どんなにベース寄りに立っても、打ちにいったときに一瞬でも腰が引けて、逃げてくれたら僕の勝ち。一瞬でも腰が引けると、バッターからはボールが遠くに見えるし、芯で捉えられてもスタンドまではいかないから」

 1試合27あるアウトのうち、永射氏はそのなかで勝敗がかかった1つを取った。チームもファンも、常に完璧を求めた。その重圧の凄まじさは想像に難くない。

「でも、やり甲斐を感じていたし、ワンポイントという仕事は性格的にも合っていた。みんなが『どうしようもない。困った』という場面で出ていって、抑えるというのは最高に気持ちいいからね。それに、ほかのピッチャーの前ではガンガン打つ強打者が、僕の前でだけは腰砕けのスイングをする。こんな快感ないですよ」

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