愛媛からNPBへ。元巨人ドラ1・河原純一監督が伝える「プロ意識」 (2ページ目)

  • 寺下友徳●取材・文・撮影 text & Photo by Terashita Tomonori

 愛媛県松山市の「ひめぎんグラウンド」で、静かに語り続けていた河原監督の口元がわずかに歪んだ。右肩の手術以降も度重なるケガに悩まされてきたが、それでもNPBで15年、愛媛マンダリンパイレーツで3年を過ごすことができたのは、基礎体力、マウンドさばきなど、すべての土台を作った駒澤大での4年間があったからだ。

「僕は川崎北高校ではストライク、ボールの判定に『えー』とか言ってしまう、喜怒哀楽を表に出すタイプだったんです。それが大学では『相手にマウンド上で弱い姿を見せるな!』と太田誠監督(当時)に怒られた。最初は意固地になって『絶対に口を開くものか』と思っていたんですが、それも納得してできるようになりました」

 駒澤大では、享栄高の高木浩之(現埼玉西武二軍打撃コーチ)、駒大岩見沢高の本間満(元福岡ソフトバンク)と同期。2人のような高校野球のスターと異なり、「厳しい大学と知らずに入学した」河原を驚かせたのは、無尽蔵なスタミナを持つ先輩投手たちだった。

 そして河原も先輩たちに続く。アップ後にブルペンに入るまでは、ひたすらランニングを課せられた。ブルペンでは下半身を使って股関節の柔軟性を活かし、「7割の力でいいから、ボールが指にかかって捕手のミットまで糸を引くいいボールを投げる」という要求を意識して投げ続けた。

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