全治1年からの帰還。
DeNA山崎憲晴ロングインタビューby村瀬秀信 (4ページ目)
憲晴にとって、規定打席への到達は悲願だった。ルーキーで開幕スタメンを得た2009年は、いきなり3安打の猛打賞でデビュー。1週間後、初めて出た打撃30傑の1位にいきなり名前が躍り出たが、その後はまったくと言っていいほど打てなくなった。あの"キレイに打った"3安打の呪縛に囚われ、入団から4年での通算安打は35本。規定打席なんてものは夢のまた夢。同時に自信のあった守備も狂いはじめると、セカンドに憲晴しかいないはずの状況下で、中村紀洋がスタメンを守るという屈辱も味わった。
「このままじゃダメになる」
憲晴が一軍に定着したのは、そんな崖っぷちで迎えた2013年。走攻守、すべてを求めることをあきらめ、"守備"に特化したこと、そしてチームに勝ち試合が増えてきたことで、"守備固め"という自分の居場所を見つけることができた。
だが、試合後半の守備固めに与えられる打席は、あっても1打席。そのひとつひとつを大事に積み重ね、ようやくスタメンを勝ち取るまでに至ったが、毎試合ポジションは一定しない。"便利屋""守備だけの人"というイメージを払拭できない。宮本慎也や井端和弘のように信頼されるレギュラーになるためには、規定打席への到達。それだけが確かな目安だった。
しかし2014年、それは目の前をすり抜けていった。さらに無理をしたことで守備も打撃も崩れ、翌15年も開幕から極度の大不振。終わってみれば一軍戦わずか25試合の出場。何もかもわからなくなりかけていた。
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