ヤクルト山中浩史がしみじみと語る「アンダースローの孤独と誇り」 (2ページ目)

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

 27歳でプロ入りを果たした山中のプロ初勝利は、ヤクルトに移籍して2年目となる2015年6月12日の西武戦だった。

「思い出深い初勝利でした。目標としていた牧田さんが西武の先発で、投げ合えただけでもすごく嬉しかったですし、プロで初めて負け投手になった西武ドームで勝てたことも嬉しかったですね」

 この勝利から6連勝を記録し、山中はチームの14年ぶりの優勝に大きく貢献することとなる。入団2年目のシーズン途中でトレードされた投手が、なぜ勝てるようになったのか。

「ヤクルトへ移籍してからですよね。高津(臣吾)投手コーチ(現・二軍監督)や、二軍のトレーニングコーチとの出会いは大きかったと思います。投げることに対しての考えが変わりました。ソフトバンクの時は、ひざを中心にコントロールするフォームで投げていたのですが、ヤクルトに来てから『右のお尻で投げてみたらどうか』と。右のお尻に体重をためて投げるということです。そして『体を立てろ』『手首を立てろ』と教えてもらいました。その結果、ボールに力が強く伝わるようになり、強いボールが投げられるようになったんです」

 ヤクルトに来て、ピッチングそのものを変えたことで結果が出るようになったと山中は言う。そして続ける。

「変化球の落ちも違いますし、何より制球が長く続くようになりました。ひざ中心のころは、1イニングは制球が良くてもそのあとが続かなかったのですが、今は2イニング、3イニングといい制球ができるようになった。高津さんの存在は大きかったですね。サイドスローとアンダースローでは、ピッチングのメカニズムは違うと思うのですが、考え方は一緒でした。アドバイスも押しつけるのでなく『こうしたらどうか、こうやってみたらどうか』と言ってくださったのもありがたかったですね」

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