台湾のレジェンド選手・張泰山が語る
「日・台・韓」の野球の実力 (3ページ目)
── たしかに独立リーグの指導者の多くが、選手たちの精神面の未熟さを指摘しています。
「そうでしょう。私もチームのことを考えて自分なりに選手にアドバイスを送るのですが、なかなかその教えが浸透しません。たとえば、スイングについて問題点を指摘しても、自分なりの考えがあるのか、それをなかなか直さない。そのときは理解したようでも、次の日にはまた元に戻っている。私だけじゃなく、ほかの人もアドバイスしているはずなのですが、やはり素直に受け取れないんでしょうね。もちろん、この1シーズンですごくうまくなった選手もいます。そういう選手がNPBへ進んでいくんでしょうね」
── 張選手はこれまで多くの国際大会に出場し、日本チームとも多く対戦していると思います。日本の野球に対してはどういう印象をお持ちですか?
「とにかく勝利に向かって進む真摯な姿勢には感心します。それは独立リーグでも同じですね」
── 国際大会での思い出はありますか?
「じつは、あまり覚えてないんですよ。もう何度も国際大会に出ているので、数が多すぎて細かいことはすぐに出てこないですね。
私が最初に国際大会に出場したのは、たしか1998年のIBAFワールドカップ(この年からプロの出場が解禁)だったと思います。その次の2001年のこの大会は地元台湾での開催で銅メダルを日本と争いました。このときは日本チームに、高橋由伸(現・巨人監督)や井口資仁(現・ロッテ)がいたらしいですが、それも覚えていないんですよ。その試合はなんとか勝って我々は銅メダルを獲得しました。
高橋選手については、アテネ五輪のことをよく覚えていますね。あの試合(予選リーグ6日目)、我々は上原浩治(現・レッドソックス)投手から3点先制して7回までずっとリードを保っていたんですよ。そこで1点取られた後、高橋選手の2ランで同点に追いつかれ、延長戦でサヨナラ負けしたんです」
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