鉄平の激白「すべてを失った2011年。それでも悔いはない」 (3ページ目)
―― 2005年オフにトレードで楽天に移籍されます。
「ビックリでした。一軍経験が浅いとはいえ、まだ20代前半で、二軍の試合では3割4分から5分は打っていましたから。普通に考えれば、残しておきたい選手のはずですよね。これはあとから聞いた話なのですが、当時監督だった落合さんが『今の中日では出る場所がないが、ほかのチームだったらあるんじゃないか』と言って、トレードが決まったそうなんです。そこまで考えてくれていたことがうれしいですよね」
―― 期待に応えて、楽天移籍後はレギュラーとして活躍されました。2009年には首位打者を獲得。チームも球団創設初のAクラス入りを果たし、クライマックス・シリーズに進出しました。
「やってやろうという気持ちしかなかったですね。2006年は開幕スタメンで試合に出させてもらったのですが、プロ野球のワンランク上の世界を見ることができました。ただただ緊張しかなかったのですが、本当の意味でプロ野球選手になれた瞬間でしたね。2009年に関しては、首位打者よりもAクラスに入ることで必死でした。楽天という球団は歴史がないですから、我々が足跡を残していかないといけないという思いでやっていました。もちろん、首位打者を獲れたことはうれしいのですが、それよりも2位になれたことが最高にうれしかったですね」
―― 2010年も3割をマークするなど、チームの中心選手として活躍されますが、その翌年から徐々に成績が落ち込み、出場機会も減っています。2011年以降というのは、何があったのですか?
「2年連続3割を達成したことで、さらなる高みを目指そうと思ったんです。それに2011年は統一球が導入され、スイングの形を少し変えてみようと。それでいろいろ試しているうちに本来のフォームを見失ってしまって……どうスイングしたらいいのかわからなくなってしまったんです。もちろんケガもありましたけど、いちばんの理由は自分の戻るべき形に戻れなかったことなんです。そこですべてを失ってしまいました」
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