巨人・原辰徳監督の「愛情」と「非情」の10年を振り返る

  • スポルティーバ●文 text by sportiva
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

 クライマックス・シリーズ(CS)ファイナルステージ、巨人はセ・リーグ覇者のヤクルトに力の差を見せつけられ、わずか1勝しかできず敗退となった。9回二死、原辰徳監督が代打に送ったのは高橋由伸だった。原監督が2度目の巨人監督となった2006年以降、チームの中軸を担い、近年は代打の切り札としてチームに貢献してきた男に最後を託した。だが、結果は三振。

06年からの10年でリーグ優勝6回、日本一2回を達成した巨人・原辰徳監督06年からの10年でリーグ優勝6回、日本一2回を達成した巨人・原辰徳監督

 この時、すでに退任することを決めていたのだろう。小林誠司以外の野手をすべて使い切っての総力戦に敗れた原監督の表情は、どこか清々しかった。試合翌日、退任を発表した原監督は「新陳代謝」という言葉を何度も口にした。

「ここ3年ほどチーム力が低下し、成績も落ちてきていた。この辺が潮時であり、チームにとっても新陳代謝をし、新しい指導者、リーダーに託すのが正しい選択であろうという気持ちで、こういう結果になった」

 思えば、06年からの10年間は、「依存」とそこからの「脱却」の繰り返しだった。

 前年5位から巻き返しを期待された06年、ロッテから李承燁(イ・スンヨプ)が加入し、チームは開幕ダッシュに成功。4月は18勝6敗2分と大きく勝ち越した。しかし、交流戦中に高橋由伸や阿部慎之助の主力がケガにより離脱すると、得点力が低下。6月は6勝19敗、7月も6勝14敗と大きく負け越し、優勝争いから完全に脱落した。結局、4位に終わり、2年連続のBクラスに沈んだ。

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