今や貴重な選手の供給源。高まる独立リーグの存在価値 (3ページ目)
プロ入り後、角中は2012年に首位打者とベストナインを獲得。2013年に行なわれた第3回WBCの日本代表にも選出されるなど、独立リーグ出身選手の中で最大の成功者となった。一方、三輪もレギュラー獲得には至っていないが、ユーティリティプレイヤーとして長くチームに貢献している。このふたりに独立リーグの存在について聞いてみた。
三輪は「独立リーグがなかったら、間違いなく僕はここにいないです」と言い、こう続けた。
「僕はNPBの選手になりたくて、独立リーグに入ったわけじゃありません。NPBなんて夢のまた夢でしたから。ただ、野球がやりたかっただけなんです。それまでは軟式野球をやっていましたし、満足に野球に打ち込める環境ではなかった。独立リーグで野球ができるだけでもありがたかったです」
角中は「高校卒業後、自分の選択肢に大学進学はなかったですし、(四国アイランドリーグの)トライアウトがあることを知って、じゃあ受けてみよう」と、独立リーグ入りへの経緯を語った。目指す先はNPBだったと言うが、当時、独立リーグからNPB入りするのは容易ではなかったはずだ。当時の主食はハンバーガーと牛丼だった話は有名で、プロを目指す環境としては厳しかったのではないか。
「2005年に育成選手としてふたりNPBに入っているので、可能性はゼロではないと。やっている時は別に厳しいとか辛いとか思わなかったですよ。野球だけやってお金をもらえるんですから。もちろん贅沢はできないし、貯金も増やせなかったですけど、野球に打ち込める環境だったと思います」
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