広島OB高橋慶彦が語る「赤ヘル黄金時代と2015年のカープ」 (2ページ目)

  • 元永知宏●文 text by Motonaga Tomohiro
  • 五十嵐和博●撮影 photo by Igarashi Kazuhiro

── 慶彦さんはプロ4年目の78年シーズンは、110試合に出場して打率3割をマーク(当時は130試合制)。カープがリーグ優勝した79年には打率.304、55盗塁、33試合連続安打という日本記録を樹立しました。連覇を果たした80年には打率.307、38盗塁で、2年連続の盗塁王を獲得しています。

「80年当時、私はまだ23歳で、変なプレッシャーや責任を感じることはありませんでした。苦しいところは、衣笠祥雄さん(※)、山本浩二さん()に全部お任せ。おかげで、思い切ったプレイができた。失敗しても『次にがんばります!』で済んだから。手本となるべきベテラン選手が抜けてしまうのはFA制度の弊害だと思います。特にカープは主力が離脱する歴史があったから、ずっと若手が伸び悩んだり、苦しんだりしてきた。そんな選手たちも、精神的に楽になれば成績が伸びる。これは間違いありません」
※衣笠祥雄/カープ黄金期の主力打者で、84年はMVPに輝いた。通算成績は打率.270、504本塁打、1448打点
※山本浩二/カープ黄金期の主砲として活躍し、首位打者1回、本塁打王4回、打点王3回を獲得。通算成績は打率.290、536本塁打、1475打点

── 慶彦さんが広島入りした75年は、開幕後に辞任したルーツ監督の後任として、古葉竹識(こば・たけし)監督がシーズン途中に就任した年でした。

「当時の私は、プロ入りしたものの、バットを振ってもボールに当たらないし、当たっても遠くに飛ばない。ゴロは弾くし、フライは落とす。これは1年でクビになると思いました。そのとき、『慶彦、プロは足だけでメシが食えるぞ』とアドバイスをくれたのが古葉監督でした。もし古葉さんとの出会いがなければ、本当に1年でクビになっていたと思う」

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