育ての親が語る「内川聖一と山田哲人、7つの共通点」 (2ページ目)
2011年にFAでソフトバンクに移籍するも、その年も打率.338をマークし、史上2人目となる両リーグでの首位打者に輝いた。そして今季は、右打者として史上初となる「8年連続打率3割」に挑戦する。
杉村は2011年に横浜を離れ、次に出会ったのが山田だった。2013年に二軍打撃コーチとしてヤクルトに復帰した年だった。杉村はプロ3年目の山田とこんなやりとりを交わした。
「どんなバッターになりたいんだ?」
「ホームランを打てるバッターになりたいです」
「じゃあ、お前はホームランを50本も60本も打てるのか?」
杉村が回想する。
「その時、山田は『そんなことを言われても困る』という顔をしていました。そこで内川の話を出したんです。『お前はヘッドスピードが速く、内川と変わらない。内川と同じような練習をすれば、必ず3割を打てる打者になる。レギュラーを獲りたいなら、練習に付き合うよ』と。その時、山田の顔が明らかに変わったんです。内川という具体例があったのも良かった。『このおっちゃんの言うことを聞いてみよう』となったんだと思います」
山田は履正社高(大阪)時代、通算31本塁打を放つなど、右の強打者として鳴らした。プロ入り後も、長打へのこだわりを捨てきれずにいたが、杉村との話し合いで「安打を打つことがプロで生きる道」と決断した。山田は2013年に94試合に出場し打率.283でレギュラーの足がかりを作ると、翌年、杉村が一軍打撃コーチに昇格してから本格的な"付き合い"が始まった。
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